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印旛沼掘割物語ー江戸・天保期の印旛沼掘割普請始末

印旛沼掘割物語ー江戸・天保期の印旛沼掘割普請始末という新書サイズの本が出版されました。著者は千葉市在住の高崎哲郎さん(水資源機構客員教授)。
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あとがきにこう書かれています。
江戸期初期以降、今日の千葉県北部に広がる印旛沼は利根川の遊水池の役割を果たしてきた。利根川水系が大洪水に襲われると印旛沼の水位が急上昇し、沼周辺の農村は押し寄せる濁流により生命財産を奪われ続けた。印旛沼の洪水を江戸湾側に落とすために掘割開削工事が江戸期を通じて3回計画(享保、天明、天保)された。だが、いずれも巨額の予算を投じたにもかかわらず中途で放棄され無残な失敗に終わった。本書でとりあげたのが第3回計画で、目的は単に新田開発のみでなく、水害からの救いと通船利便のためとある。
幕府は天保14年6月、鳥取藩(池田氏)、庄内藩(酒井氏)、沼津藩(水野氏)、筑前秋月藩(黒田氏)、上総貝淵藩(林氏)の5藩に印旛沼古堀筋普請手伝を命じた。
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大規模工事に伴うヒト、モノ、カネを各藩に全て受け持たせた。5藩支払った工事費は10万7千両(200億円以上)、5藩は財政危機に見舞われた。御手伝普請を命じられた5藩のうち幕府命令に従って現場人夫を自藩から派遣したのは庄内藩だけだった。「幕命は愚直に守る」との藩主の決断を貫いたのである。
庄内藩名指しの背景は三方領地替えに端を発した藩民の転封阻止運動により幕命が覆ったその3年後の印旛沼古堀筋普請手伝、老中水野忠邦の敵意をむきだしにした意趣返し(報復)と考えられた。
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 庄内藩は最難関工事を受け持ち、庄内藩民の酷暑の劣悪な環境のもと懸命な作業は美談として秋月藩の「藩政記録」に記されている。
大工事はみのりませんでしたが、先人たちのその真摯で懸命な努力には改めて感銘をうけます。
詳しくは崙書房(千葉県流山市流山2-296-5) ふるさと文庫198「印旛沼掘割物語」をご覧下さい。
 
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by ChidoMuseum | 2011-06-21 00:32 | Comments(0)