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森敦生誕100年祭と出羽からの祈りと再生

 森敦生誕100年祭が9月8日15時から湯殿山注連寺で開催されました。森敦生誕100年と森富子著「森敦との時間」出版をお祝いする会として計画されたものです。
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◎記念講演「森敦生誕100年祭によせて」作家森富子さん。
◎座談会「森敦との思い出を語る」作家勝目梓さん、作家作詞作曲家新井満さん、元講談社群像編集長天野敬子さん、旧朝日村村会議長伊藤明栄さん  コーデネイター小林好夫さん。
◎新井満ミニコンサート「組曲月山」から。
以上の日程で森敦生誕100年祭がおこなわれ、森さんを偲び森富子さんの出版を祝いました。この地域集落は地滑りで、注連寺を残して引っ越したため、久しぶりの賑わいとなりました。その後「森の花見」懇親会、「思い出の月山祭」のスライドが映写されました。翌日は特別ツアーで森敦文学を探訪しました。なお東京でも下旬に開催されます。
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 森敦生誕100年祭開催にあたって      森敦生誕100年祭実行委員長 前鶴岡市長 富塚陽一
「昭和24年~26年にかけて森敦は庄内の地を転々とした。妻のふるさと北俣村、師横光利一ゆかりの西目を始めとして、湯野浜、加茂、大山などをさすらって、七五三掛(しめかけ)にたどりつき、27年の初夏まで注連寺に滞在した。一方戦後日本は昭和25年からの朝鮮戦争による特需によって息を吹き返し、45年の大坂万博で高度成長の頂点に達していた。しかし、昭和48年の中東戦争の余波を受けて企業への石油電力供給が制限され、政府が省エネを呼びかけると庶民の間に買いだめパニックが起こり、狂乱物価、ゼロ成長と暗転の度合いを深めていった。そのような時代にあって、森敦の「月山」が昭和49年に第70回芥川賞を受賞したことは、いまからみると必然であったように思える。欧米に追いつき追い越せの猪突猛進によって犠牲を強いられたもの、あるいは振り捨ててきたもの、それらによってやがて手痛いしっぺ返しを受けることの不安に気づき始めたやさき、庄内を放浪した文士の作品によって根源的な生と死のテーマを突きつけられて愕然とさせられたものである。62歳で文壇に再デビューした森敦は、加茂を核心に置き、庄内一円を曼荼羅として描いた「われ逝くもののごとく」の連載を72歳から始めた。75歳で刊行するとともにその年に第40回野間文芸賞を受賞した。しかし、翌昭和63年の第8回月山祭と野間文芸賞受賞を祝う庄内のつどいでの姿が最後となった。作家亡き後も続けられたファンの集いは希有のものであった。注連寺での月山祭は没後8年の16回まで開催された。森敦の人間性を慕っての参加はもとより、作品世界に魅了された読者がその舞台である庄内の風土を確認したいとの動機も強かったようである。シンポジュームの後の懇親会「森の花見」では心づくしの郷土料理に舌鼓うちながら思い出話や文学論やらに大輪の花が咲くのであった。
 おりしも東日本大震災によって生と死についての観想が深められている今年は、森敦生誕100年となる記念すべき年に当たります。また没後23年をい迎えますが、養女の森富子さんが小説「森敦との時間」を出版なさいます。つきましては、鶴岡市名誉市民・森敦氏の生誕100年と、作家・森富子さんの出版をお祝いしたいものと、旧朝日村月山祭実行委員有志・森敦文学保存会・出羽庄内地域デザインの3者による実行委員会を立ち上げた次第です。庄内になくてはならぬ作家の業績を顕彰し、在りし日の思い出を語り合い、ひいては庄内の文学風土について思いを凝らす集いをささやかながら開催する運びとなりました。往時の月山祭をほうふつとさせるべく、多くの方々のご賛同をいただき、思い出の七五三掛 注連寺にて、にぎにぎしく楽しく語り合い、実りある初秋のひとときにしたいものと願っております。」
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by ChidoMuseum | 2012-09-21 19:57 | あれこれメディア情報 | Comments(0)