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荘照居成祭

出羽国一之宮鳥海山大物忌神社蕨岡口の宮の境内に莊照居成神社がります。
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10月2日午前10時からその莊照居成祭が催行されました。三方お国替えの時に英断をくだした江戸町南町奉行矢部駿河守を祀り、荘内を照らすという意で命名されました。神事そして遠路かけつけていただいた矢部駿河守末裔の今関達巳さんのご挨拶がありました。そして琵琶語り「天保義民の旗風」(山崎誠助作)を池田青水氏が奏し当時を偲びました。
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矢部はその後水野の忌諱にふれ桑名に預けられ、断食をして非業の死を遂げることになったことについて、桑名市稗田自治会連合会がつくったしおりが紹介されました。


矢部駿河守定謙様
桑名藩お預かりの真相             桑名市稗田自治会連合会  
「出羽国一之宮鳥海山大物忌神社蕨岡口の宮境内に「莊照居成神社」がある。
弘化三年(1840)にに建立された小さな社である。祭神は、江戸南町奉行であった矢部駿河守定謙(さだのり)である。ここに至った歴史的背景を述べる。
天保11年(1840)に別図の如く、「三方領地替え」が突如として下り、出羽国荘内領民は驚きと混迷を極めた。
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この所替えのご沙汰に対し、領民は荘内あげて、大阻止運動を展開した。地元では大祈願を催し、また江戸へ出て幕閣への駕籠訴を実行した。
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この行動が奇しくも矢部駿河守の取り調べるところとなり、当時江戸で活躍していた佐藤藤佐(さとうとうすけ・出羽国 遊佐升川出身。その長男 佐藤泰然は医師となり佐倉に移り順天堂を創設、医学生の教育に力を注ぎ、外科治療で注目され私立病院の魁けとなった)が調べられることになる。
 調べに対して藤佐は、この国替えの非と、「百姓たりと雖も、二君に仕えず」という荘内領民の心意気を滔々と述べたのである。矢部奉行は藤佐の論に胸を打たれ、幕府の評定所の席上、この国替えの撤回に力を注がれ、遂に転封は撤回された。荘内藩は矢部駿河守によって救われたのである。
 しかし、この為、矢部駿河守は、水野忠邦(老中)の忌諱にふれ、腹心の鳥居耀蔵らの陰謀にて、在任八ヶ月で江戸南町奉行を罷免となり、罪人として桑名藩へ永のお預かり、子は改易という厳しい処分を受けた。
 矢部駿河守は翌年天保13年(1842)5月12日に桑名藩に到着、暫くして断食に入られ、おん年52歳で7月24日亡くなられた。検死その他で遅れ、8月18日、豪雨の夜半に、ここに埋葬されたのである。

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 法名 隔雲院弧月日高大居士
 現在の墓標は、昭和39年(1964)、作家松本清張先生の肝入りで、平岡潤先生たち「北勢史談会」が建立されたものである。
 この度、山形県遊佐町の鳥海山大物忌神社の伊藤宮司のご来桑によって、矢部駿河守定謙の件が詳しく判ったので、桑名市と相はかり、命日である今日、ここ薬王寺にその由来を記してこの札を建て、御霊の安からんことを祈ります。
平成16年(2004)7月24日

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by ChidoMuseum | 2012-10-02 21:47 | あれこれメディア情報 | Comments(0)