致道ブログ

chido1950.exblog.jp
ブログトップ

大手町で荘内藩の屋敷遺構みつかる

 大手町で荘内藩の屋敷遺構みつかると、ネットニュース(産経ニュース)にとりあげられておりました。
「江戸時代出羽荘内藩が江戸城の正門、大手門そばに構えた大名屋敷の遺構が、千代田区大手町の再開発現場でみつかった。茶碗や徳利など日用品や、屋敷内の道路、排水溝もあり、当時の譜代大名の暮らしぶりを知る史料となりそうだ。千代田区教育委員会によると、遺構がみつかったのは、神田橋の公庫ビル、日本政策投資銀行跡地の建て替え現場。出土したのは、陶磁器や石組の排水溝など、焼けた瓦が残っていた土坑、道路だったことがうかがえる固い平面もあった。区は今後、山形県と連絡を取り、現存する絵図面や日記などの古文書から発掘場所の屋敷内での位置を特定する。さらに石組や穴、建物の跡からそれぞれの機能を調べ、陶磁器などの生活道具から大名の生活を解明する。屋敷があった大手町は参勤交代で江戸に上った大名が暮らす上屋敷が並んでいた。戦後は銀行、証券、総合商社が集まるビジネス街に変貌。建設ラッシュで多くの屋敷跡が失われたが、今回ビル建て替えに伴い、かつて地下工事をしなかった場所を試掘したところ、1m堀っただけでさまざまな遺物が出土した(区教委)という。荘内藩の屋敷は、昭和31年、神田橋門とともに石垣が見つかり、都の遺跡地図に登載された。今回の発掘地は、その遺跡に隣接し、同じ屋敷の邸内に当たる。区教委は「17万石の荘内藩は譜代大名の中でも有力で、東北の統治に大きな役割を果たした。屋敷も約3万2千平方メートルと広い。出土を機に、江戸中期から幕末の暮らしの変遷を明らかにしたい」としている。」と写真いりで紹介されました。
 「大手町フィナンシャルシティのノースタワーのところ、「この広場および通路は、地区の環境設備に有効な空地として都市計画法(都市再生特別地区、地区計画)に基づいて設けられたものです。歩行者が日常自由に通行または利用できるものです。」と現在地の地図表示板がある並びに「庄内藩酒井家神田橋上屋敷跡」酒井忠一前館長揮毫の標柱を化粧直しして、良い場所に建てられたことを確認してきました。
お近くにおいでの節はお立ち寄りください。」と春にブログに掲ましたが、
昭和40年代に致道博物館東京友の会で荘内藩江戸屋敷跡という標柱を建て、その後再開発で一端撤去、再度化粧直しをして再開発のの地に立てさせていただきました。そのあたりの地下には先人たちの生活の痕跡が残っていると思うと、はるか遠いとおもっていた時代が身近に感じるから不思議。
f0168873_2126402.jpg

[PR]
by ChidoMuseum | 2013-11-19 19:22 | あれこれメディア情報 | Comments(0)