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犬塚甘古・一瓢「書と刻字」展

1月16日より2月17日まで犬塚甘古・一瓢「書と刻字」展を開催いたします。
隷書を能くした甘古と刻字を多く遺した一瓢、会場で御覧いただくとお二人の書の魅力に圧倒されます。
 犬塚甘古には、夏目漱石「坊ちゃん」にでてくる漢学の先生や博物の先生のモデル説があります。漱石先生にお聞きしないと定かではありませんが。
 しばらく止宿したこともある甘古の長女清井の嫁ぎ先杉村正謙(鶴岡出身、戸山脳病院創設者、警視庁警部)の近所に夏目漱石宅があり交流もあったと聞いています。その病院を継いだ杉村 幹(警視庁第一部長・「警視庁物語」「脳病院風景」等著書多数)の兄弟が、杉村 惇(洋画家・日展参与、東北大学教授・宮城教育大学教授・仙台市名誉市民)杉村顕道(宮城県教育文化功労者・作家「怪談」・宮城芸術協会理事長)です。
また、夏目漱石が松山中学に教師となるのは明治28年、甘古は明治29年(1896)で1年ずれますが、交流はあったこと等と、推測すると面白いものです。
 甘古は、長子犬塚一瓢に家督を継がせ上京、洋画家高橋由一に師事洋画を学び、その後福島で福島師範、福島中学、郡山中学で教師を務める傍ら古器物研究会を立ち上げ、奥羽人類学会の委員としても活躍します。福島中学の横地校長が松山中学校長となると、松山中学へ転任します。その後32年(1899)岡崎に移って愛知第二師範の教諭として赴任しております。岡崎転任後も松山市北野廃寺跡の調査に活躍します。なお書道教師としての隷書は有名で、松山在任中 の筆蹟遺影が当時の松中同僚数学教師渡部氏の「政和先生略伝」中に「自反而縮千萬人吾往、甘古居士書」として記載されています。
「あの瀬戸物はどこでできるのだと博物の教師に聞いたら」「漢学の先生に、なぜあんなまずいものを麗々と懸けておくんですと尋ねたところ」という表現で「坊ちゃん」にでてきます。まさに甘古は、博物の先生であり漢学の先生でありました。遊歴中岐阜多治見市の旅宿で大正元年9月24日客死、享年75歳、夫人の墓所岡崎市大泉寺東方共同墓地に愛犬ジョン(如雲)の墓碑と甘古院研照の法名で葬られました。著書「日本国分史」「考古資料手記図譜」2巻、「会津磐梯山噴火報告」、その他。

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犬塚甘古の絵画「王陽明の図」賛:黒崎研堂 大正元年作 



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by ChidoMuseum | 2015-01-15 19:44 | 展覧会 | Comments(0)