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庄内藩主酒井忠徳にあてた堂上派歌人たちの書状その他

⒉月⒛日新潟大学 錦 仁名誉教授が来館され、調査いただいている酒井忠徳公の詠歌について解説集をいただきました。
忠徳は⒛代の後半、宮部義正(高崎藩重臣・晩年徳川将軍和歌指南役)から詠歌の手ほどきを受け、その縁で烏丸光胤・冷泉為泰を紹介され同時に入門しました。忠徳の奥方脩姫(松平定信の妹)、側近の吉野丈義も入門しました。和歌の秘伝書を伝授してもらうことを目標に先生の教えを守って稽古に励み、秘伝書を授かったら決して漏らさないと誓いをたてて入門するのです。
 まもなく光胤は病没、その前に忠徳は日野資枝(ひのすけき)に手紙で入門を申し込み、詠歌に励み、「詠歌一体」など伝授をうけ、京都で資枝に面会口授によって伝授は完了しました。これらの資料から烏丸(からすま)家・冷泉(れいぜい)家・日野(ひの)家の詠歌指導の違い、伝授に対する誓状の違い、光胤・為泰・資枝の人間性の違いなどがくっきりわかります。烏丸光栄は桜町天皇に和歌の指導をした歌人でその末子の資枝は日野家に養子にはいり、日野家の跡を継ぎましたが、5人の男子がいた烏丸家は跡を継ぐ人がなく、中御門光胤が養子となって跡をつぎました。日野家は儒学の家柄で室町幕府と深い関係があり、従って資枝が跡を継ぐことによって貴族の文化と武家の文化を継承する和歌の家として存続していきます。
 当時の朝廷歌壇の状況が資枝から送られた多量の歌会資料によってわかるのも興味深いことです。忠徳と資枝の関係はうるわしく心が洗われます。月に3度歌を送ってよいかという忠徳に、資枝は何度でもいいから送ってくださいと語りかけ、私の歌もお送りしますから遠慮なく批判を書いて送り返してください、お互い批判しあうと歌の稽古がともにすすみますと資枝は述べております。大名歌人忠徳・堂上派歌人の一人ひとりを解明する貴重な資料ですが、万葉集・古今集から続く和歌の伝統、古今伝授以降、江戸時代に確立した天皇を頂点とする和歌の普及と指導体制などを解明するための貴重な資料群であると思います。秘伝書、歌学、歌論書、添削文書など月山・鳥海山のごとき雄大な資料群です。
錦先生からは以上の概要をうかがいました。「大量の資料を目にした時から、すでに2年半経過した。驚くことに故酒井忠治氏(当館理事)がすべてを翻字していた、その資料と原文を比べて解読し、解説を加え、パソコンに打ち込む作業をしてきたが、体力の限界に達した。ここで一旦打ち切る。」という一文が経過にあるように大変ご苦労されての研究に心から感謝申し上げます。
加えて膨大で貴重な忠徳公の江戸俳諧資料もあります。それらの調査研究にはまだまだ時間がかかりますが、歌と俳諧、書簡や当時の資料の解明に期待したいと思います。

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by ChidoMuseum | 2016-02-20 19:01 | 博物館のとっておき | Comments(0)