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南洲翁遺訓序文について

来年、大河ドラマ「西郷どん」、戊辰戦争から150年とあって、西郷翁が注目を集めております。
酒井忠篤と旧庄内藩士が直接西郷翁から教えを聞き、編纂した南洲翁遺訓に、副島種臣の序文が掲げられております。

南洲翁遺訓の序文について「庄内賢士大夫某々」のところ、「士」でないのではと質問がありました。

副島原文の「士」が、当用漢字にある士とは違い、そう読めないかもしれませんが、周弼の書体(中国古典書体その他いろいろ)で士と書かれております。
あらゆる書体を駆使される、さすが書聖副島先生ですね。


南洲翁遺訓一巻、区々(くく)たる小冊子と雖(いえど)も

今の時に当り、故大将の威容(いよう)の𠑊(げん)と、

声音(せいいん)の洪(こう)とを

観(み)るに足(た)る有るもの、

独(ひと)り此篇(このへん)の存するに頼(よ)る。

噫(ああ)、西郷兄(けい)、何を以て蚤(はや)く死せるか。

茲書(このしょ)を著(あらわ)す者は誰ぞ、

庄内賢士大夫某々(しょうないけんしたいふぼうぼう)。

明治二十三年一月  副島種臣(そえじまたねおみ)

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銅像建立の協力といい、西郷翁肖像画の件といい、南洲翁遺訓の編集と配布といい、荘内先人たちの西郷翁敬慕は半端でなく、とことん徹底しております。


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by ChidoMuseum | 2017-12-20 18:02 | あれこれメディア情報 | Comments(2)
Commented by 玉白 at 2017-12-27 02:15 x
真儒であられたからか西郷さん、著作の類いは遺されておりません
だから、『南洲翁遺訓』は西郷さんが著されたのではなく、荘内藩の著作と云って差し支えないかと存じます
わたしたち庄内人は、この遺訓を読むことによって、荘内の先人がたが大賢・西郷南洲翁に何をお訊ねしたかったのかを今の時代に偲ぶことが出来ます
これは、庄内人だけの特権であり恩恵でもあります♪
「荘内の先人たちが(西郷先生に)直接ききたいことは何だったのか、(この庄内の地に)残したかったことは何だったのか」
他藩と違い徂徠学を行じた鶴岡の侍(武士)たちは、西郷さんに洋の東西を問わない真実の学問を肯定されて、どんなにか勇躍なされたことでしょー
御一新に対峙された荘内藩士は、ご立派だったと思います
副島翁の提唱された「士大夫の道」は、日本の外交を切り開き、西郷さんも脱帽されておられましたね
「士」の書体の解説をありがとう御座いました
Commented by 玉白 at 2018-01-15 09:56 x
『南洲翁遺訓』を、手分けして全国に配布なされた際の荘内藩士のメモ書きは、初めて拝見いたしました
長田町の「樺山」さんはおそらく、白洲正子の御祖父・樺山伯の縁者のかたでしょーか、実に面白い記録ですね ♪
弘法大師の灌頂目録で、弟子の名前をメモ書きされたものが確か国宝になっていたかと思いますが……
庄内人にとりましては、それに匹敵する貴重な手書き文書だと存じます
『大西郷全伝』の雑賀博愛は、同じ編集人として共鳴される処が多々あったのでしょー、編集責任者の三ツ矢藤太郎さんを高く買っておられました
赤沢源也さんの格調高く詞藻豊かな文語体といい、鶴岡には当時一流の人材がひしめき合っておられたからこそ、
『南洲翁遺訓』といふ、書籍として通好みの渋さもありご馳走満載の稀有な一冊を産み出すことが出来たのだと思います
やはり、酒井忠篤公のスケールの巨きさが御一新の大変革を乗り越える礎となったと思います
あの徳力と決断力、大胆にして濃やかな破格の力量……
忠篤公のご揮毫から察しますに、南洲翁や斉彬公、副島蒼海にすら比肩しうる自在で綿密な禅機をお感じ致します
「由豆佐売神社」の扁額なぞ、素晴らしすぎて…… (泣)
かけがえのない御かたを得て、時宜を得て、いまの庄内が在ります
この400年のご治世、感謝と敬愛の念を込めまして、つつしんで奉祝申し上げます、まことに有り難う御坐います