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カテゴリ:展覧会( 133 )

「おまえ べんきょうしているか」

 別冊文芸春秋199号に寄稿した小文を書き改め、当館平成255月~6月に開催した「画家93歳 三井永一の軌跡」展発行した図録掲載したものです。生前三井先生より挿絵等が当館に寄贈されましたが、「想像と創造 三井永一の仕事」という三井永一遺作展開催にあたって三井永一先生を偲び再掲します。
「おまえ べんきょうしているか」                                    三井永一

それは昭和11年頃に遡る。当時の少年達はみな大志を抱いていたかもしれないが、私は小志も持たずにウロウロしていたのを、美術の地主悌助先生(当時鶴岡中学、通称フグ。後に地主先生は、石や紙など描いて、小林秀雄や白洲正子など著名人のファンを持つ画家となる)が、上野の美校(芸大)を受けてみては、という。それまで本格的木炭デッサンなど描いたこともなかったのに、美校の試験はこのデッサンが主眼といってもいい。急遽上京して川端画学校に入る。だが、そこには予備校特有の、目は血走り髭顔に年期の入った男達が他人はみな蹴落としてしまえと睥睨しているような雰囲気に満ちていた。堪りかねて、とにかく東京中を探し回った末、内幸町のビルの4階に(ここは後に文芸春秋社が入るのだが)春陽会洋画研究所の看板を見つけてドアを開ける。

 そこには半裸のモデルと抱き合ってポータブル蓄音機でタンゴを踊っている男、絵筆を右手に口三味線で長唄を歌っている女、隅で楽譜をのぞきこんでバイオリンを弾いている人、スチームの上でフランス語の詩を朗読している若者、かと思うと窓辺で双眼鏡をのぞいている男が「オイ見ろ、いい女、いい女」といっている。こんなとき私は躊躇しない。すぐに入所した。そうこうしているうちに美校にはいる気は全くなくなっていた。

 この研究所では、石井鶴三、中川一政、木村荘八、鳥海青児その他の先生が交代であらわれる。木村先生は昭和12年当時朝日新聞に永井荷風「濹東綺譚」の挿絵を描いていた。研究所の先輩はその挿絵の玉ノ井地図を切り抜いて出かけたりしたが、お前はまだ子どもだといって連れて行ってはくれなかった。

 その木村先生は昼夜転倒の人だから夕方研究所にやってきては残っている56人の生徒を引き連れて銀座のモナミやエスキーモ、カフェ・プランタンなどに行く。こんな時の先生の雑談は実技のほか、例えば歌舞伎の平面背景に対するタテヨコの演技と、西洋の半円ホリゾントに対する自然な立体的な動きの違いをリアリズムに置き換えてみると面白い、というような何気なく自ずから身体に染みこむような話しだった。

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 家では、美校にいかないことを詰られて切羽詰まっていた。これを乗り切るためにもここで春陽展に入選するしかない背水の陣だったが翌年18歳で初入選し、その翌年は文展に初入選したからよかったものの、大げさにいえばこの時が私の人生の岐路といえなくもない。やれば出来るということで逆に元来の不勉強を自分に都合良く合点させたのだろう。このことを木村先生はちゃんと見抜いていて後後まで顔を合わせれば「おまえ べんきょうしているか」とのぞき込んできた。

 初めての入選者懇談会でそれぞれ自己紹介するとき、中川一政が立ち「私は木村荘八であります」その隣の木村荘八は「私が中川一政であります」と言って席に着いた。その次の石井鶴三は「私はもともとから石井鶴三であります」と言った。小杉放庵はゆっくり立ち上がって「私は名前を忘れてきました」若い私は春陽会の大先達の親昵を目の前にして身体が震えたつような思いをした。

 さて世の中に、やがてきな臭い風が吹き出し暗雲が漂いはじめた頃、20年近く住んでいたフランスから岡鹿之助さんが引き揚げてきて春陽会に入る。まもなく戦争は若者を戦場に駆り立て、私も招集されて兵隊となり、運命の分かれ道に何度か向き合いながらも東京に戻った。生還はしたが、空虚の中で気力もなく悶々としているとき、岡さんに葉っぱ一枚をじっと観察しながら筆で辿れば落ち着きますと言われ、木村先生にはアトリエに入るなり、書きかけの絵を前にして、君この絵を批評してくれ、と言われた時の衝撃がやがて美術への眼を取り戻した。

 当時木村先生のお宅に春陽会の事務所があった。私は春陽会の事務を手伝うことになり、頻繁に先生の家に出入りし、時には泊まったりする。そんな時は本棚の整理を頼まれたり、時には日本画の仕事をしながらその技法を実地に教えてくれたり、或いは挿絵の仕事の時は作画のコツ、紙の効用、ぺんの描法など、文字通り手を取って教えてくれた。また岡さんは春陽会の研究会や雑報の担当で自然と逢うことが多くなった。ここではアトリエが音楽堂といってもいいようなステレオ装置で、その中で貴重なレコードを深夜まで聴かせてくれたり食事を頂いたりした。

 そうした或る日、木村先生の紹介といって小説雑誌の女性編集者が訪ねてきて挿絵をたのまれた。又別の日、別の月刊誌からは岡さんに紹介されたといってカットの依頼だった。そして、やはり岡さんからの紹介だという文芸誌のカットも描くことになる。木村先生も岡さんも私の暮らしのことを考えて黙って出版社の仕事を紹介してくれたのである。
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by ChidoMuseum | 2017-04-06 17:48 | 展覧会 | Comments(0)

想像と創造ー画家三井永一の仕事




4月1日から4月26日まで画家三井永一の仕事展を開催しています。
挿絵の仕事:木村荘八や岡鹿之助は、三井の暮らしを気遣い、黙って出版の仕事を紹介した。特に師・木村荘八は、挿絵について作画のコツ、紙の効用、ペンの描法など文字通り手をとって教えたという。
連載という仕事:物語の世界を彩る挿絵の仕事。作家のいち早い読者となるが時には外出もままならない。作品を理解し適切な挿絵を描く。信頼関係の上に成り立つ仕事。
描き分ける仕事:小説には様々なジャンルがある。雑誌の挿絵はモノクロの世界。画材の使い分けや、描画のタッチのみならず、画風までも変化をつける。
人をみつめる仕事:数多く引き受けた挿絵の仕事の中で特筆すべきが人物画。線一本で人柄までが描かれる。高い技術も必要だが、それ以上に大切な、人をみつめること。
絵画の仕事:絵画の仕事は、春陽会展や公募展、個展などが舞台となる。画家の仕事は描くこと。悩み、模索し、たどり着いた世界。その先に何があるのか。
版画の仕事:昭和30年代中頃、描きたいものが見えてくる。画家の仕事は描くこと。もうひとつの道、リトグラフ。ここからふかまりゆくワンダーランド。
本の仕事:小説が出版されるとき、挿絵は掲載されないことが多い。そんな時に、本の世界を豊かにするのは装丁や扉絵の仕事。
仕事場の片隅に:挿絵の依頼は数多く、原画の整理も大変な仕事。描いて終わりでなく、時には検証することも。その積み重ねがここにある。
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by ChidoMuseum | 2017-04-01 18:55 | 展覧会 | Comments(0)

歴史の扉 街道&海道

 1月27日から3月1日まで「歴史の扉 街道&海道」 江戸時代、諸大名は参勤交代のため江戸と領国を行き来しました。華美な出で立ちで大勢の武士が行進する様は、武家社会の象徴でもあり、幕藩体制の中で道の整備がすすめられます。そしてその道はやがて庶民の道ともなりました。
 商人は上方や江戸を往来物資を運び、文人墨客が旅をしたほか、伊勢参詣や出羽三山参りなどの信仰の道ともなり、要所におかれた宿場町は人で賑わいました。
 荘内は西に日本海、東に出羽三山、南に朝日山地、北に鳥海山と山海で囲まれた地域です。そのため60里越街道や浜街道などの陸路、海運路としての西回り航路、置賜・村山・最上地域を結ぶ河川水路・最上川、これらがとても重要な交通路となりました。特に、西回り航路の起点となった酒田湊は、近隣の特産物を集積し、上方への海運の拠点となり、全国有数の良港として繁栄しました。本展では、荘内と江戸、京都、大阪が陸路・海路によって結ばれ、全国を人々が往来した江戸時代の様子を古文書や絵画史料、民俗資料からみていきます。     
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出羽街道図(江戸時代中期)
美濃判和紙を18枚つなぎ合わせてつくられた出羽国街道図(但し米沢置賜は描かれていない)。象潟の潟湖が描かれている所から制作は文化元年(1804)以前とみられる。西の日本海側から東に向かって鳥瞰的に、しかも山々は高低をつけずに同調子で描き、主要な城郭窪田(久保田)・本城・鶴岡・白岩・新庄・山形・上山は、四角に内接円で示され、街道や脇街道はところどころに集落名を入れながら赤線で描いている。街道は他領とのつながりを意識して注記され、川や潟は北から南の海岸線に沿って米代川、八郎潟、雄物川、子吉川、象潟、月光川、日光川、最上川と支流の赤川、三瀬川、五十川、小国川(もしくは温海川)、鼠ヶ関川が誇張して示されている。


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荘内藩参勤交代道程図(パネル) 鶴岡から江戸までの道程図

藩主は参勤交代の制度によって毎年領国と江戸を往復しなければならなかった。上り下りには10~15日を要した。参勤のルートは鶴岡城を出発し、清川から船で清水(現山形県最上郡大蔵村清水)に上陸、その後羽州街道、七ケ宿街道を通って桑折から奥州街道で江戸まで上った。約120里(480k)の里程を進んだ。参勤のルート変更は幕府の許可を得る必要があり、基本的に同じルートをとったが、正徳7年(1713)~宝暦4年(1752)の間は尾花沢ではなく、大石田を通る時期もあった。
鶴ヶ岡城~清川 清川街道
清川~舟形 舟形街道(最上川)
舟形~楢下 羽州街道
楢下~桑折 七ヶ宿街道(羽州街道)
桑折~江戸神田上屋敷 奥州街道


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最上川谷地押切渡しより柏沢迄絵図(江戸時代)碁点・三ヶ瀬・隼の最上川3難所場面 延享3年(1746)4月 当館蔵  山形県指定文化財

新庄藩から荘内藩に贈られた最上川谷地押切渡より荘内藩領柏沢までの最上川川筋を描いた絵図。乾坤の2巻仕立てで、乾には最上川谷地押切渡から合海まで、坤には本合海から荘内藩領柏沢までの川筋が描かれ、延享3年(1746)4月新庄藩士岩間作右衛門によって作成された。日本3大急流といわれる最上川のなかでも特に険しい難所とされる碁点、隼、三ヶ瀬は川のうねりと岩礁が表現され、白糸の滝などの滝や分流する川筋なども随所に描かれている。最上川の川筋が上質な絵の具で精巧に描かれており、当時の状況を知る上で貴重な資料である。


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酒田湊・山居付近(江戸時代) 酒田御米置場絵図 享和元年 当館蔵
幕府直轄領および預地からの年貢米(御城米)の廻船ルートとして西廻り航路が開かれると、米の集積地となる各湊に米置場を設置した。酒田の御米置場がそれにあたり、通称「瑞賢蔵」とも呼ばれる。酒田の御米置場は、明和5年(1768)に一度移築されているが、その後の享和元年(1801)、最上川の川欠により、7,80間移動させている。また本図には4つの門が描かれているが、移築後には5つの門が備えられるようになる。




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将軍の名代として上京、691名の大名行列
泥洹院様御上京図 江戸時代 当館蔵

泥洹院様とは荘内酒井家6代酒井忠真のこと、この上京図は享保10年(1725)京都御使(将軍名代)として忠真が上京したときの大名行列を描いたもの。人物691名、馬34匹、駕籠・長持21個、土地の者4名が描かれている。上京に際しても「御判物」の入った長持や「太刀箱」などを持ち運んだ。藩主の奥のすぐ後ろには、「亀通しの槍」(酒井家初代忠次愛用の槍)が控えている様子なども見える。下パネルはその道程図である。

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by ChidoMuseum | 2017-01-28 10:34 | 展覧会 | Comments(0)

所蔵コレクション展 近世の絵画と書蹟

12月15日(木)〜1月24日(日)までの会期で「所蔵コレクション展 近世の絵画と書蹟 」と題して近年寄贈された江戸時代の絵画と書蹟の展覧会を開催しています。
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服部南郭の書「佩蘭」、南郭は、荻生徂徠の高弟、太宰春台とともに知られています。
「佩蘭」はキク科の多年草フジバカマ、中国原産であるが、古くから日本に帰化している植物。
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新田徳純の猫図。岩松新田家が描いた猫図のことを「新田猫図」と称します。18代温純、19代徳純、20代道純、21代俊純まで4代にわたって猫図を描いていました。岩松新田家は上野国新田郡下田嶋村の120石の大名、わずかな持高でしたが、徳川家と同じ祖先ということもあり、10万石の大名扱いを受けていました。暖かいかまどの横に腹ばいでリラックスする猫が描かれています・
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by ChidoMuseum | 2016-12-15 19:20 | 展覧会 | Comments(0)

第37回鶴岡書道会会員展 12月1日~12月12日

第37回鶴岡書道会会員展を12月1日~12月12日まで開催中です。東京都江戸川区書道連盟さんから賛助出品をしていただいております。ぜひご高覧お願い申し上げます。
鶴岡書道会の創立は古く、前身は昭和2年(1927)黒崎研堂門下の逸材である松平穆堂が中心となり、大瀧徳蔵、佐藤孝太、伴兼一の4人で結成した書道同好会です。週1回はの練習をしております、それが次第に人数が増えて、昭和8年(1933)鶴岡書道会が創立されました。また昭和42年(1967)には、鶴城書会(初めは嚶鳴書会)と一緒になっています。
鶴岡書道会は一貫して人道に通じる書道の考えのもと、芸術としての書の研鑽とひとつのことに精神を集中する心を養い、人として清純で真直ぐな強い心を育てる機会になるようにと願いながら活動を続けてきました。現在、設立以来長い間開催している夏期書道練習会、11月の荘内書道展、2月の新春書初め展、それにこの会員展を開催しています。特に当会は子供たちのための書道教育として、流派の垣根を越えて活動を行っていることに特徴があります。現在鶴岡書道会会員数は45名です。

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by ChidoMuseum | 2016-12-01 15:26 | 展覧会 | Comments(0)

寒蘭展 11月21日~11月27日まで

 11月21日から11月27日まで鶴岡東洋蘭愛好会鉢55鉢出品で寒蘭展を開催します。
 東洋蘭は、花やほのかな花の香り、葉の文様、鉢を含めたトータルバランスを観賞する植物です。
 寒蘭は、夏は涼しく、冬に暖かい海洋性気候帯の常緑樹林の林床に多く自生する植物です。
 空中湿度が比較的高い場所で、地形的には東から南の急斜面に多く風通しのよい場所を好みます。
 寒蘭という名前から勘違いしやすいようですが、決して寒い場所に自生しているわけではありません

蘭のほのかな良い香りにつつまれて、どうぞ寒蘭をお楽しみください。
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荘内日報11月25日付
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by ChidoMuseum | 2016-11-20 16:20 | 展覧会 | Comments(0)

砂絵展

 11月10日より13日まで砂絵展を開催しました。
加藤景一氏が主宰する砂絵会は、砂を活かした絵画で全く独創的なもの。
年々作品が個性と創造をパワーアップ、見ごたえある展覧会になりました。

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by ChidoMuseum | 2016-11-13 17:29 | 展覧会 | Comments(0)

第13回 庄内姉様人形教室

11月3日~6日まで第13回 庄内姉様人形教室 
 受講生作品展がおこなわれました。
それぞれ個性があって、姉様のお顔が微妙にちがっています。

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これは太田先生の作品です。
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by ChidoMuseum | 2016-11-06 18:35 | 展覧会 | Comments(0)

第13回庄内姉様人形教室作品展示会

 11月4日~11月6日まで庄内姉様人形教室作品展を開催します。
庄内姉様は江戸末期頃より庄内藩士の夫人達の間で手すさびに女児の着せ替え遊び、おひなごとの人形として作られてきたといわれます。
城下町に育まれた庄内姉様の特徴は、髪に墨と膠を混ぜてぬり艶をだしているところです。
ご高覧ご批評いただきますようお願い申し上げます。
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by ChidoMuseum | 2016-11-04 16:44 | 展覧会 | Comments(0)

庄内女流陶芸家の現在(いま)

 11月2日(水)から11月29日(火)まで「庄内女流陶芸家の現在(いま)」展を開催いたしております。個性あふれる5人の女流陶芸家による作品展をお楽しみください。
江川てる子:石川県金沢市立美術工芸大学卒業。昭和51年鶴岡市内に築窯。昭和63年鶴岡市羽黒町桜ケ丘に移転現在にいたる。


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太田金子:愛知県瀬戸窯業職業訓練所修了。昭和61年工房堅香子(かたかご)開設。鶴岡市アートフォーラム学校陶芸教室、鶴岡市青年スクール陶芸講座、第三学区コミュニテイセンター陶芸サークルなどで講師をつとめる。


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勝木章子:長崎県佐世保生まれ。父親の転勤に伴い日本各地を巡る。埼玉県の小学校教諭として19年勤務。平成3年羽黒町に転居。小学校非常勤講師の傍ら東北芸術工科大学陶芸コース研究生、修了後羽黒山椿窯を開設。


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下妻さき子:昭和57年碁点焼(村山市碁点)、昭和60年鶴岡市羽黒町松ヶ岡に松岡窯陶芸教室開設。平成24年より松岡窯陶芸教室陶の蔵主宰。庄内一円で出張教室を開催。


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中村知美:平成5年武蔵野美術大学短期大学工芸工業デザイン科陶磁コース卒業後、茨城県笠間市で修行。平成9年茨城県窯業指導所ロクロ科修了。平成10年鶴岡市菱津にて独立、個展グループ展を中心に活動。

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by ChidoMuseum | 2016-11-02 11:31 | 展覧会 | Comments(0)