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カテゴリ:あれこれメディア情報( 177 )

荘照居成祭催行、矢部家、桑名から参加


10月2日午前10時からその莊照居成祭が催行されました。
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三方お国替えの時に英断をくだした江戸町南町奉行矢部駿河守を祀り、荘内を照らすという意で命名されました。神事そして遠路かけつけていただいた矢部駿河守末裔の今関達巳さんのご挨拶また桑名歴史の案内人6名が参列されました。
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国歌「君が代」にうたわれた「さざれ石」昭和36年岐阜県春日町で発見され後に岐阜県の天然記念物に指定された石を荘照居成のある鳥海山大物忌神社に矢部駿河守定謙終焉の地より奉納された桑名の案内人加藤勝巳初代会長のご長男加藤陽一さんも参加されました。

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そして琵琶語り「天保義民と江戸町奉行」(山崎誠助作)を池田青水氏が奏し当時を偲びました。

三方領地替えの撤回という大きな英断をした矢部駿河守は、天保12年町奉行を罷免、伊勢桑名藩松平家に幽閉「御預け」となったが、閉居中断食して逝去と伝えていたが、桑名の預り関係史料(矢部駿河守桑名藩へ護送の図天保13年:桑名市史料)では病死とされています。
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矢部は桑名では罪人を預かったという認識でしたが、荘内では神様、そのご縁と違いに交流がはじまりました。この三方国替えの後、荘内藩は千葉印旛沼の厳しい工事を幕命をうけ着手、荘内は自領から大勢の人を派遣、結局酷悪な環境にその工事は中止、その工事が成るのは昭和にはいってからでした。その時荘内の得た技術は後に庄内の日向川の開削におおいに役にたったということでした。
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by ChidoMuseum | 2014-10-03 18:01 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

致道館の日

9月27日午後12時30分から孔子祭、致道館の日の式典が旧藩校致道館行われました。
孔子祭、致道館の日式典後、犬塚幹士先生が論語の一節を講経、
本間立先生が「致道館の日によせて」と題して講話、
高校生は90%携帯電話をもっており、現代のネットなどがおよぼす影響と教育について
有意義なお話しいただきました。
その後会場を荘内神社参集殿にうつして、
第6回児童生徒論語作文発表会がおこなわれました。
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「学ぶことの大切さ、楽しさ」第5小3年上松直人さん、
「素読教室に通って」櫛引南小4年佐久間瑚々さん
「論語を勉強して」第3小4年東海林琴音さん
「論語の意味は深いなあ」第3小5年武田弥生さん
「考えること学ぶこと」第6小6年大内晶史さん
いずれも楽しく率直に論語に親しんでいる様子が生き生きと表現された作文でした。
そして「古典に詠まれた王照君について」と題して菅原直香先生が講演をされました。
王昭君は中国の4大美女(西施・貂蝉・楊貴妃・王昭君)の一人。
古典に詠まれた王昭君、
漢の元帝は宮女が多かったので絵師にその姿をかかせ、呼び寄せたい者があるとその絵を
もとに呼び寄せた。並の宮女はみな絵師に賄賂を贈って美しくかかせたが、王昭君は容姿
が美しかったので賄賂を贈るようなことをしてまでも君寵愛を求めようとしなかった。
そこで絵師は王昭君の絵をわざと醜くかいた。後に単于が和睦のために来朝し、美女を
求めたので、漢の元帝は絵に醜くく画かれた王昭君をつかわした。
召し出して絵と違い、その美しさに惜しんだが、王昭君の名は先方の単于にとどいているので
そのまま、つかわすことにし、絵師は斬罪に処せられた。
漢詩等の資料から考察を加えたお話しに時空をこえて遠い世界に導かれました。
その王昭君の悲しみながら嫁いでいくところを描いた、菱田春草の重要文化財「王昭君」
(鶴岡市善宝寺所蔵、致道博物館寄託)今東京国立近代美術館で「菱田春草展」(9月23日から11月3日まで)
で展示されています。是非ご覧ください。

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by ChidoMuseum | 2014-10-01 15:22 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

出羽庄内文化遺産フォーラム開かる

 9月14日午前9時30分より東北公益文科大学において出羽庄内文化遺産フォ-ラムが開かれました。庄内の29団体による実行委員会が2012年度から文化庁の助成を受けて、出羽庄内の文化遺産の価値を掘り起こし再認識し地域の豊かさの醸成と活性化をはかる目的で開かれて今年は最終年の3年目を迎えました。上野由部さんから民俗芸能の解説を受け、酒田市の新山延年、鶴岡市の山戸能、庄内の伝統芸能と現代舞踏と音楽の融合として黒川能下座太夫上野由部さんと現代舞踏家森繁哉さんと音楽家岡野弘幹さんが創作の上演、午後からは国際日本文化研究センター名誉教授山折哲雄さん、歌人馬場あき子さん、学習院大学教授赤坂憲雄さんが基調講演、鼎談がおこなわれました。山折さんは、現代の伝統文化に「擬(もどき)」の精神が欠け、本来の意味は模倣、学習することに加え、学習したことに批評を加えることと、擬きの精神の復興を問いかけました。その後、酒田市の黒森歌舞伎、鶴岡市の黒川能(上座)が上演されました。
それぞれ指定を受けている伝統芸能行事だけに個性的ですばらしい公演で観衆を魅了しました。翌日はそれぞれのコースにわかれ、ツアーが予定されています。
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新山延年
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山戸能
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音楽と伝統芸能の融合
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黒森歌舞伎
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黒川能 
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by ChidoMuseum | 2014-09-14 18:35 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

木古内町鶴岡市姉妹都市盟約25周年記念式訪問

 8月1日から3日まで北海道の木古内町と鶴岡市の姉妹都市盟約25周年記念式に参加してきました。JRで秋田、青森で乗り換えをし、青函トンネルを抜けて初日は函館に宿泊、翌日いまは合併して木古内小学校となりましたが、鶴岡小学校(来年度資料館予定)、禅燈寺など各所を見学して、記念式に臨みました。陸路つづきで、空とか海を渡っていくとは違い、トンネルも25分くらいで通ってしまう陸つづきに北海道にきたという実感がわきませんでした。
 2、3日前から急に暑くなったということですが、会場の木古内中央公民館には冷房はありませんので覚悟をといわれました。とはいうものの当初だけで夜になればしのぎやすくなりました。そういえば10年前のときは、宿舎に冷房もなく、あまりの暑さに、早朝から海で泳いでいた方を思い出します。今回鶴岡市からは総勢24名、木古内町には、新幹線の北海道での最初の駅が木古内となり、開通間近とあって架線や駅舎もほぼできつつあり、ユルキャラのキーコも登場、大森木古内町長さん、榎本鶴岡市長さん、岩舘木古内町議会議長さん、渋谷鶴岡市議会議長さんから、ご挨拶、そして野村木古内教育長さんの乾杯で盟約25周年を祝って伝統芸能などアトラクションがあり和やかに歓談しました。2次会もセットされ2班にわかれ懇親をふかめました。幸い宿舎には冷房があり快適にやすまれました。他の班はないところもあったようです。
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*ユルキャラ キーコを真中に榎本鶴岡市長さんと大森木古内町長さんの記念品交換
 木古内町との鶴岡市との縁は、明治18年から19年にかけて旧荘内藩士105戸が函館の西、木古内町に開拓移民として渡り、入植した地域に故郷の名にちなみ、鶴岡と名付けました。鶴岡地区住民は明治22年には鶴岡小学校を設立、明治33年には鶴岡市の善寶寺住職に懇願し、善寶寺39番目の末寺として善燈寺を建立するなど遠く離れた北海道の地で故郷鶴岡と深い縁を結んできました。大瀬欣哉氏が鶴岡小学校を訪問したのをきっかけとなり、昭和39年5月に鶴岡第一小学校と鶴岡小学校は姉妹校となり、平成元年4月27日両市町の関係が深まり、姉妹都市の盟約を結び盟約記念式典が開催されました。
 駅の見送りまで町長さんはじめ木古内町の皆さんの歓待をうけ25周年の意義と両市町のますますの発展を祈念しながら、JR車中の人となり帰途につきました。
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*JR木古内駅から準備の北海道新幹線木古内駅をみる
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鶴岡市&木古内町 記念撮影
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by ChidoMuseum | 2014-08-04 19:06 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

国指定史跡田島弥平旧宅

 7月6日、群馬県伊勢崎市にある世界遺産「富岡製糸と絹産業遺産群」国指定史跡田島弥平旧宅にいきました。伊勢崎から東武伊勢崎線島村そして車で田島旧宅へ、ちょうど利根川をはさんで群馬県と埼玉県の境が島村、利根川の島村渡船は市道の一部として伊勢崎市が運行しています。
 「田島弥平旧宅や島村養蚕農家群は個人住宅で現在居住されています。見学は田島家は庭まで、養蚕農家群は敷地内への立ち入りはご遠慮ください。」とのこと。しかし、さすが世界遺産、田島弥平旧宅案内所がありそこで史跡に関するパネル展示等をしており、交通にさほど便利ではないけれど、見学者は次から次へときております。
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 さて、鶴岡市松ヶ岡開墾場の蚕室は、明治8年から10年にかけて、島村の蚕室を模しその倍の大きさにして10棟建てられ、現在5棟現存活用公開しております。
 明治7年当時日本一といわれ宮中養蚕御奉仕者としても知られた島村の田島弥平、武平家に、17名を松ヶ岡から派遣、田島家から昼夜をいとわず親身になってご指導(「蚕の友」榊原十兵衛著)いただき、70日余りかけて養蚕技術を習得しました。また養蚕器具は、高木市五郎・さと夫妻が来場(田島武平家文書)して制作技術を指導、当方の職人がその技術を習得したといわれています。
 田島弥平家を外観だけ見学、東門の両側にあった蚕室の跡が残っており、その説明パネルには下記の通りありました。
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 「明治5年(1872)以降8年までの間に建てられた2階建蚕室で、大きなやぐらがついていることから、3階建の楼閣と見誤るほどです。2階建て瓦葺き寄せ棟造りで総やぐらの蚕室は、国史跡松ヶ岡開墾場(山形県鶴岡市)の蚕室に踏襲されています。主屋と新蚕室の2階は、主屋2階東側に残る渡り廊下でつながっていました。昭和27年解体され、基壇の石組みだけが残されています。」
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とあって松ヶ岡開墾場の蚕室群の写真も紹介されていました。
世界遺産登録「富岡製糸と絹産業遺産群」&国指定史跡田島弥平旧宅おめでとうございます。
世界遺産続編?松ヶ岡開墾場蚕室にご光来をお待ちいたしております。
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by ChidoMuseum | 2014-07-08 16:37 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

第12回藩校サミット イン 行田

 行田といえば、足袋の産地、古代蓮のみられる所、忍(おし)城-映画「のぼうの城」でよく知られています。
天下統一目前の豊臣秀吉は唯一残された敵北条勢を圧倒的軍勢で攻めようとしていました。そんな中忍城では、「北条にも豊臣にもつかず、皆で今までと同じようにくらせないかな」と呑気なことを言って皆を唖然とさせる、その不思議な人柄から領民たちから「のぼう様」(でくのぼうの意)とよばれる成田長親が治めていました。秀吉臣下の石田三成が戦国時代末期天正18年、2万の兵で忍城に迫り、やむなく降伏を覚悟した忍軍、多勢に無勢となめきった三成軍の態度に、長親は「戦いまする」と思いもよらない言葉を発し、誰の目にも絶対不利な500対2万の戦いがはじまりました。三成軍は約28キロにわたる堤を築き、利根川と荒川の水を引き入れる水攻めを決行、文明11年築城とされる忍城は、この猛攻にも沈まず、北条方に組した忍城は、北条方で唯一最後まで粘り残った城となりました。水に浮かぶその姿から「忍の浮城」と呼ばれるようになりました。後に徳川家康の孫を家祖とする奥平松平氏が桑名から忍藩に転封になり、明治4年の廃藩置県まで5代にわたり忍藩を治めました。
 7月5日第12回藩校サミットが旧忍藩16代当主松平忠昌実行委員長のもと、49藩藩校関係者が集い、埼玉県行田市、行田市産業文化会館でおこなわれました。第一部は研修会「国語教育の柱ー漢字、古典、短文つくり」と題して大阪大学加地伸行名誉教授が講演、第2部が大会式典、松平実行委員長、上田清司埼玉県知事、工藤正司行田市長、漢字文化振興会石川忠久会長のご挨拶、各藩旧藩主藩校代表者が壇上で紹介、代表して徳川ご宗家徳川恒孝さまがご挨拶されました。
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記念講演「江戸後期の忍藩と明治への移行」と題して、修猷館卒の講談師神田紅さんがユーモアをまじえながらの講談、
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地元の子供たち約100名が漢詩と論語を迫真の暗誦素読、閉会行事として次期開催地福岡市修猷館同窓会に引き渡しのセレモニーが行われて盛会裡に終了しました。忍藩子ども塾・市立埼玉小合同素読は、木鐸で始業合図があり、「春暁」孟浩然「春望」杜甫など漢詩9偏、論語抄など暗誦素読は、圧巻でした。
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by ChidoMuseum | 2014-07-06 17:06 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

九州の原一洋さまからのお手紙

 九州の原さまから達筆なお手紙をいただきました。そして「初めて知る秘話です。名将言行録同封いたします。」と名将言行録に付箋してお送りいただきましたのでご紹介します。ありがとうございました。

 徳川秀忠、初めて秀吉へ謁見の時、松平長丸と披露す。
 秀吉、長丸は家康公の御子に不似合とて、武蔵守に為し、名乗りは秀の字を進ぜらる。
 今一字は家の字なりとも、康の字なりとも然るべくとありしかば、家康、其忝を謝し、さらば長丸は、酒井左衛門尉子分に致置候間、忠次の一字を取て、秀忠とは如何之あるべくやと言われければ、秀吉、大に喜び、左衛門尉義は隠れなき者なり、武勇にあやからるる為に、一段然るべしと言われしとぞ。
 忠次、知勇絶倫、家康に仕えて開国の元老たり。清康の妹に配し、親昵(しんしゅう・日ヘンではなく口ヘン)尤も渥(あつ)かりし、且つ軍国の事は悉く忠次に任せられけり。(名将言行録巻の四十九の中の一部抄録)

『名将言行録』(めいしょうげんこうろく)は、戦国時代の武将から江戸時代中期の大名までの192名の言動を浮き彫りにした人物列伝で、幕末の館林藩士・岡谷繁実が1854年(安政元年)から1869年(明治2年)までの15年の歳月をかけて完成させた。全70巻と補遺からなり、主に武田信玄、上杉謙信、織田信長、明智光秀、豊臣秀吉、伊達政宗、徳川家康などの天下を競った戦国大名から、森長可といった安土桃山時代の戦国武将、江戸時代の譜代大名で老中を務めた戸田忠昌、赤穂浪士の討ち入りを指揮した大石良雄など、多くの時代の人物について、その人物の言行、逸話を記録している。(ウィキペデアより)
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写真上:現在のDCキャンペーン特別展「国宝太刀信房作と国宝太刀真光」展で展示中の「徳川16将図 狩野秀信筆」、忠次(徳川四天王)は中央家康公の下、左最上方に描かれている。
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by ChidoMuseum | 2014-06-25 10:09 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

茨木のり子展 於世田谷文学館 

  6月29日まで「茨木のり子」展が東京・世田谷文学館で開催されていると6月22日付朝日新聞天声人語で知りました。残念!行けません。期日は迫っておりますが、お勧めとご案内を申し上げます。

 「現代詩の長女と呼ばれた人は、その通りに戦後の女性詩人の先頭を歩み続けた。東京の世田谷文学館で開かれている茨木のり子展(29日まで)を訪ねて、戦時の体験に裏打ちされた平和への意志に触れる心地がした」という文で始まっています。
  茨木さんは、鶴岡に縁があり、甥にあたる先輩が学生時代は茨木さんに下宿していた話をきいていましたし、当館でも茨城のり子展を開催しこともあり、身近に感じます。鶴岡市の加茂のお寺に茨木さんのお墓があり、内外の多くのファンがお参りに訪れているそうです。ユーモアと強いメッセージ性がかんじられる詩句に国内はもちろん外国にも多くのファンがおります。

[笑う能力] 茨木のり子

「先生お元気ですか
我が家の姉もそろそろ色づいてまいりました」
他家の姉が色づいたとて知ったことか
手紙を受けとった教授は
柿の書き間違いと気づくまで何秒くらいかかったか
 
中略・・・・・

山笑う
という日本語もいい
春の微笑を通りすぎ
山よ 新緑どよもして
大いに笑え!

気がつけば いつのまにか
我が膝までが笑うようになっていた
(「笑う能力」の始めと最後を紹介しました。全詩は、茨木のり子詩集「寄りかからず」をごらんください。)

 世田谷文学館というと思い出すのは、藤沢周平展が行われたときのことです。京都の真如堂の齋藤真成先生のところで俳優渥美國泰さんとお会いしました。私は帰りに東京の世田谷文学館によって藤沢周平展を見にいくとお話ししたら、渥美さんは、自宅の近くだから、じゃそこで待ち合わせして一緒に行こうということになりました。待ち合わせて拝見しましたが、藤沢周平展は満員、大勢の人、人、人、渥美さんはこんなに人が多い世田谷文学館をみるのは初めてと驚いておりました。「珈琲でも」となり、その店を探すのに苦労して文学館は人がいっぱい、近くのところもだめ、結局二人でとことこ歩いて、最寄り駅近くの喫茶店でやっとおちつき歓談したという思い出があります。それにしても鶴岡市出身の藤沢周平さんの人気はすごいと改めて感心しました。
 先週たまたまテレビで一番謝りたい人という番組をしていて、俳優石田純一さんが劇団が2つに分かれたときに、ついていけなかったことを渥美國泰さんに謝りたい、渥美さんの友人は、彼はそんなことは思っていなく石田さんの活躍を喜んでいると述べているのをみました。今は亡き渥美さん、当館や松ヶ岡にこられたり、渥美さんのコレクション展を当館でも開催し、その借用にアクト青山に伺ったり、お人柄を懐かしく思い出します。
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写真上:松ヶ岡のかすみ桜と桃畑で、齋藤真成先生と渥美さん
鶴岡市立藤沢周平記念館では常設展のほか、企画展「風の果ての世界展」、そして当館「国宝太刀銘信房作と太刀銘真光」展が開催中です。是非みなさまのご来館をお待ちいたしております。
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by ChidoMuseum | 2014-06-22 18:54 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

倉 秀人さまからのお手紙

 倉秀人さまからお手紙と「徳の交わり」西郷隆盛と菅實秀 魂のふれ合い・付西郷どんこぼれ話」をお贈りいただきました。子供さん向けにわかりやすく漫画化したものです。
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「木木の緑も深まり、早くも真夏日を記録する暑さが到来しましたが、恙なくお過ごしでしょうか。
私が最初に鶴岡と酒田を訪れたのは平成22年8月の夏の真っ盛りで、2回目の訪問が昨年9月でしたが、おかげさまで菅實秀翁と西郷さんとの交遊を描いた「徳の交わり」が漸く完成し、鹿児島の小中生への配布が始まろうとしています。2回の取材の節には山形の皆様には大変お世話になりまことに有難うございます。また22年の南洲神社参拝取材の折には酷暑にも拘わらず、今は亡き小野寺時雄理事長自らが、書庫内も懇切丁寧に御案内下さったり、西郷さんゆかりの品々をご披露くださり、その内容の充実ぶりと、歴代の「庄内南洲会」の皆様の、西郷さんに対する篤い御心に接して、「鹿児島を凌駕している!」と驚いたことを懐かしく思い出します。あらためて皆々様に心より御礼申しあげます。
 実は、今回の「徳の交わり」を製作するに当たって、私が納得しかねることがひとつありました。
それは、臥牛翁と対座している西郷さんが「腕組み」をしていることで、幼い頃からたくさんの西郷さん関連の書物を読みあさってきた私なりの西郷さん像では、西郷さんは、たとえ相手が年若であっても、またどんな職業・立場の人であろうが、腕組みをしたままの無礼な態度で応対するとは到底考えられません。現に勝海舟は「氷川清話」において、「西郷は、幕府軍を追い詰めた官軍の総参謀であるにもかかわらず、勝利者としての驕りは寸分も無く、ましてや権威を振りかざすこともなく、私との対座の間、ずうっと、拳を膝に置いていた。まことに謙虚で、見上げた男振りであった」と云っています。西郷さんも、きっと「後世の連中が心ない仕草にしてしまって申し訳なか・・・」とお詫びしておられるに違いありませんので、どうかお許しください。私も、臥牛翁ゆかりの方々や山形の人たちに対して誠に申し訳ない気持ちを抱きつつ、差し込みの「西郷どん こぼれ話」を編集させていただきました。
 なにはともあれ、漫画「徳の交わり」で子供たちが、学校では教えないであろう歴史の一コマを知り、ふるさとである山形や鹿児島を愛する気持ちを持ってくれたら有り難いことです。
 私は、いつの日か、昭和17年のスラバヤ沖海戦において撃沈されていた英国駆逐鑑「エンカウンター」の乗組員全員を危険を顧みず救助した山形出身の工藤俊作館長を主人公にした漫画を出版したいと念願していますので勉強してみます。
 梅雨入り間近の天候不順な折柄、くれぐれも、ご自愛専一にお過ごしくださいますように。再見を楽しみにしております。」
ご丁重なお手紙をありがとうございました。「徳の交わり」「西郷どんこぼれ話」は、鹿児島県教育委員会が企画、鹿児島市森博幸市長さまが、「この漫画教材を手にした皆さんには西郷と菅の交わりにふれることで、真の友情とは何か、それはどのようにしてはぐくむことができるのか、考えたり話し合ったりする中で郷土の優れた先人たちのものの見方や考え方を学んでいただきたいと思います。そして鹿児島はもとより日本や世界のために役立つ人に成長されることを期待しています」というメッセージをおくられました。
 当館では、「徳の交わり」48頁 付「西郷どんこぼれ話」10頁を、定価500円税別で頒布致します。ご希望の方は当館まで。
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by ChidoMuseum | 2014-06-08 11:28 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

加茂水族館いよいよオープン

 6月1日の新装オープンを控えて、5月30日10時からオープンセレモニーがおこなわれました。
新しくなった水族館、大勢の皆様の期待をあつめて、いよいよオープンです。地元の加茂小学校児童によるお祝いアトラクション、テープカット、榎本鶴岡市長、加茂水族館村上館長の式辞、吉村山形県知事、ユルゲン・ランゲ元ベルリン動物園園長の祝辞、下村脩博士の名誉館長就任発表、山形DC盛り上げ隊隊員証、ハナガサクラゲが受領、ふくしま海洋科学館安部館長、クラゲ研究所山口特別研究員、加茂小学校児童が応援メッセージをおこないました。
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(吉村山形県知事と村上水族館館長と地元の加茂小学校のみなさんがクラゲの大水水槽のまえで記念撮影)
それから館内見学、クラゲが主体といえども、近海地元の魚も多く展示、またクラゲの展示は記念撮影出来る場所や、クラゲの培養、手に取るなどいろいろ工夫がこらされており、アザラシ、アシカのショーがあるなど楽しめます。加茂水族館をモデルにした映画「くらげとあの娘」の公開、クラゲラーメンやクラゲアイスなどの食も楽しめ、またクラゲグッズも多彩。
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是非加茂水族館をご覧ください。
そして致道博物館、藩校致道館、松ヶ岡にもお寄りください。時は6月なかばから、DCキャンペーンも始まります。庄内をお楽しみいただけたら幸いです。
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by ChidoMuseum | 2014-05-30 15:20 | あれこれメディア情報 | Comments(0)