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カテゴリ:博物館のとっておき( 162 )

珍らしや山をいで羽の初茄子

HPのトップ写真にでてくる茄子の形をした句碑は当館にある松尾芭蕉の句碑です。

「芭蕉の句碑」
珍らしや 山を いで羽の 初茄子(はつなすび)
松尾芭蕉が「奥の細道」の旅の途時、鶴岡で詠んだ有名な句です。
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鶴岡の俳人長沢千翅(七郎兵衛・生没不詳)が享保年間に建てたと伝えられているこの句碑は、芭蕉の弟子、支考について学んだ廬元が、享保年間(1716~)鶴岡に来遊した時建てられた自然庵(鶴岡市本町3丁目鯉川酒造)の傍らにありました。
後に自然庵は芭蕉庵といいましたが、昭和54年老朽化で解体されたため、この句碑は湯田川温泉に移されました。
その後昭和60年5月当館に寄贈され、当館酒井氏庭園にあります。                                
芭蕉句碑の中、年代も古く貴重なものです。
他に、芭蕉ゆかりとして、
◎長山重行邸跡
 元禄2年(1689)6月10日(陽暦7月26日)松尾芭蕉は羽黒山を下り、鶴岡城下の庄内藩士 長山五郎右衛門重行の屋敷に三泊滞在。その日、芭蕉は、曽良・重行・呂丸と歌仙をまき、鶴岡の名産「民田なす」に目をとめて、「めづらしや山をいで羽の初茄子」と発句したといわれています。
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 長山邸は、元松文産業株式会社鶴岡工場(現鶴岡まちなかキネマ)近くにあり、北西端の長山小路と称される小道に面し、現在敷地の一角がポケットパークとなって、昭和44年建立の句碑があります。
◎芭蕉乗舟地跡
6月13日芭蕉は舟で赤川を下り、酒田に向かいました。大泉橋畔は、当時の船着き場であり、芭蕉乗舟の地という標柱がたてられています。
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◎出羽三山  

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by ChidoMuseum | 2016-05-16 10:13 | 博物館のとっておき | Comments(0)

出羽一国大絵図Gトーク

 5月15日午後2時より60名の聴講者が参加して当館本間学芸部長による出羽一国大絵図Gトークが行われました。
山形城下絵図
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新庄城下絵図
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鶴岡城下図
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亀ヶ崎(酒田)絵図
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沖縄絵図
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by ChidoMuseum | 2016-05-15 18:24 | 博物館のとっておき | Comments(0)

大泉叢誌第3集 5月下旬発売 限定150部

大泉叢誌第3集が 5月下旬発売されます。
江戸時代から編纂された庄内地方の百科事典。
郷土の歴史と文化、民俗を知る必携の一冊。
限定150部、298ページ、お問い合わせは下記当館へ。
〒997-0036 鶴岡市家中新町10-18 公益財団法人致道博物館
電話0235-22-1199
Fax 0235-22-3531
Email chido@axel.ocn.ne.jp

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by ChidoMuseum | 2016-05-14 15:17 | 博物館のとっておき | Comments(0)

刻文付有孔石斧(中国名:刻文付石鉞)縄文時代中期寄贈さる

 昭和41年(1966)、当時羽黒中学校教諭であった梅本成視氏が郷土研究部を率いて地域の遺跡を表面採集や小発掘をしていて、中川代遺跡で掘り起こした遺物で、梅本氏が長く自宅に保管していました。
 平成6年(1994)梅本氏が自宅に私設酒田考古資料館を開設するにあたり、玉川学園大学浅川利一氏を招聘、浅川氏が本資料を実見、重要性を指摘、翌平成7年7月28日の新聞に大きく取り上げられ話題となりました。
 その後出土地の確認や同伴の土器、縄文時代大陸との交流などの本資料に関わる問題の解明・研究が実証的な分析をふまえて行われました。その成果として浅川利一・安孫子昭二編著「縄文時代の渡来文化ー刻文付有孔石斧とその周辺ー」(2002年雄山閣)という研究論文が刊行され、全国に注目される資料となりました。
 また、中国の言語学者である李国棟氏(広島大学教授・中国貴州大学教授)が本資料を「刻文付石鉞」として取り上げ、それまではっきりしなかった本資料の由来と刻文の意味が具体的に論究されました。
 平成28年4月に梅本氏より、地域の方々、全国の方々、多くの皆様に見ていただき保管いただきたいという申し入れがあり、本日5月13日の本資料関連の土器を一括でご寄贈いただきました。

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 ◎付着した土の成分分析から中川代遺跡から出土と確認
 ◎縄文時代中期中葉の大木8a土器に伴ったもの
 ◎形・厚さ・石質・孔の開け方が、古代中国と類似
 ◎縄文時代の渡来物の出土例多数ある。遊佐町三崎山遺跡の青銅刀(縄文後期)等
 ◎甲骨文字風刻文は、「之」と「生」の合体字
 ◎「之越而生」良渚国の亡命者が身分証明書として刻字、携えたもの(李国棟)
 ◎古代中国大汶口文化(BC4100~2600黄河下流域)、良渚文化(BC3400~      
  2250長江デルタ)のもの
 ◎大陸からの渡来遺物が縄文時代中期の遺跡から出土
 縄文時代に渡来文化、大陸の文化が入っていたという貴重な資料である刻文付有孔石斧等を大切に保管するとともに、当館として6月より公開してまいります。下記写真は梅本ご夫妻


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by ChidoMuseum | 2016-05-13 16:05 | 博物館のとっておき | Comments(0)

大絵図 子供さん向けギャラリートーク

5月7日午後2時から、子どもさん向け展示解説をおこないました。
13名の精鋭ジュニア
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大絵図を前にみんな、熱心に、興味津々
絵図ってなに?
なんのために?
なにが書いてある?
どうやって作ったの?
どうして貴重なの?
絵図の種類は?
どのくらいの大きさ? 
方角はどうなっている?
どのへん、月山?、鳥海山?、山形か?鶴岡か?酒田?

自分達で一生懸命考えながら
解説を聞いてました。
お子様用展示かいせつシート、ちはクマ(致道博物館のクマをもじった)やヒロシ君(致道博物館博士をもじった)の手作り記念品を手にうれしそうでした。

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by ChidoMuseum | 2016-05-07 18:40 | 博物館のとっておき | Comments(0)

タイ ワールドツアー 歓迎

タイのワールドツアーの方々がお見えになり,歓迎いたしました。
当館副館長(酒井忠順・幸)夫妻がお迎えし、琴の演奏や日本剣道形を披露。
そのあと、荘内神社でご祈祷したお守りを副館長が一人一人に手渡しし、写真撮影会など行われました。
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by ChidoMuseum | 2016-04-17 18:01 | 博物館のとっておき | Comments(0)

ポイントカード登場


平成28年度よりポイントカードが登場します。
ポイントをためていただくといいこと?があります。
ご利用ください。
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by ChidoMuseum | 2016-03-24 17:27 | 博物館のとっておき | Comments(0)

曳や おわり、無事着地

 宙にういてから約3ヶ月ばかり、
漸く来礎石の凝灰岩を特注して納まる。
そして、準備、調整。
基礎石を移動先に設置。
3月15日1メートルの曳やを2時間かかって完了。
まだ宙にういたまま、そして柱等の補強作業を終え。
3月22日基礎石土台に着地しました。
慎重に修復工事が進んでおります。
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by ChidoMuseum | 2016-03-22 18:33 | 博物館のとっておき | Comments(0)

「鶴岡ひな物語」展準備進む、「しるけっちぁーの」3月3日開店に変更

3月1日からの「鶴岡ひな物語」展の準備が進んでいます。当館の「鶴岡ひな物語」展は毎年変化があります。
北国の待ちに待った心躍る春一番の行事をごゆっくりお楽しみください。
「しるけっちぁーの」は開店が3月3日からに変更になりました。
当初通知より諸事情により遅れましたことお詫びします。
ひな御膳(限定メニュー)など新メニューを加えてお待ち申しあげております。
よろしくお願いします。
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by ChidoMuseum | 2016-02-27 17:43 | 博物館のとっておき | Comments(0)

「歴史の扉」展 2月26日から3月30日まで  


 「歴史の扉」展を2月26日より3月30日まで開催いたします。
その中に藩士知行高ならびに姓名竹札があります。
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それらは第9代酒井忠徳直筆の竹札とつたえられています。
「存耳禄」には、酒井忠徳は、常に慰みに、竹を削り、幅5、6分、長さ4寸ばかりの小札をいくつとなく作り置かれて、表には藩士の姓名を、裏には何年何月何日申付と書して」と記録があります(下記写真)。藩校致道館創設して文武両道の忠徳公、藩士全員を理解しようとしたもの?

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(存耳禄より)公 常々御慰みに幅6 7分に長4寸計(ばか)りの竹を奇麗に削り藩士の姓名を御自ら書せ玉(たま)い 何年何月何日何役申付くるとして夫(それ)を禄の卑き箱に双置玉えるを其此御床の間に置かれしと云う 廃藩の此迄御数奇屋に残り有りしとぞ


参勤交代について

藩主は参勤交代の制度によって毎年領国と江戸を往復しなければなりませんでした。庄内藩は上りや下りには、10~15日を要し、参勤のルートは鶴ヶ岡城を出発し、清川から船で清水に上陸、その後羽州街道、七ヶ宿街道を通って桑折から奥州街道で江戸まで上り、約120里(480キロメートル)の道程を進みました。参勤のルート変更は幕府の許可を得る必要があり、基本的には同じルートをとりましたが、正徳7年(1713)~宝暦4年(1752)の間は尾花沢ではなく、大石田を通る時期もありました。その様子がわかる江戸道中絵図を展示しています。

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酒井の太鼓

三方ヶ原の戦いにおいて、遠州浜松城の留守居役 酒井忠次は、祝儀酒に大酔い、城門も故意に八文字に開け城内の士気旺盛を誇示しました。暮れ6つとなると坊主が常の如く太鼓櫓に上ったが敵の大群を見て戦慄、櫓より駆け下り、忠次が櫓に登り鼕鼕と太鼓を打ち鳴らします。それをみて敵将馬場美濃守信春は城中に策略あらんと察して囲みを解いて退却しました。・・・・新歌舞伎18番の1つ。私も歌舞伎座で公演を見たことがあります。
(下写真「浜松城籠城の図」錦絵 忠次が櫓で太鼓を打っている図 当館蔵)

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「酒井の太鼓」歌舞伎18番

太鼓の話は酒井忠次の智勇にちなんで河竹黙阿弥の創作といわれています。
しかし夕刻退却戦の時、退却兵をうけいれるには、暗いので明かりが必要、太鼓で場所を知らせ、いつでも収容できるよう門は開けておくことはあったのではないか、全くの創作だけではないだろうともいわれています。三河後風土記によると、落ち着きを見せていたのは家康公のみ、忠次は八方に策をめぐらし甲州勢を追い払おうと奔走していたといわれ、諸説あります。


[児童の士気を高めた酒井の太鼓(静岡県磐田市見付学校)]
見付学校が新築落成した年、家康の窮地を救ったといわれる「酒井之太鼓」が、見付学校に寄贈されました。明治7(1874)年浜松の祭りを見物していた見付の花屋吉三郎らが、板屋町の屋台で使っている太鼓が浜松城の警鼓であったことを知り、板屋町から買い受けました。太鼓は吉三郎らがどこに置くかと協議していたとき、ちょうど見付学校が建築中であったことから当寺の見付の戸長・古澤修らと交渉して、翌年開校を記念してこの学校に置くことになりました。
太鼓は最上階に据え付けられ、児童の登校の合図と正午の時報として、また児童の士気を高めるために毎日打ち鳴らされ、見付の人たちの生活の音として親しまれていました。(看板資料より)
「伝酒井の太鼓」は、平成17年11月21日静岡県磐田市の有形文化財の指定をうけました。

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当館では「伝酒井の太鼓」の展示はしておりませんが、ご参考まで。








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by ChidoMuseum | 2016-02-25 22:59 | 博物館のとっておき | Comments(0)