致道ブログ

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おせわになりました。よいお年をおむかえください。

12月31日今年1年みなさまに大変お世話になりました。ありがとうございました。
月日の経つのは早いもの、思えば致道博物館もここ2,3年、おおきな変革がありました。
公益法人改革により財団法人→特例財団法人→公益財団法人と平成24年に無事移行し、その間関係2法人が解散、松ヶ岡地区については既存の米作り用具収蔵庫のほかに2蚕室を所有管理し、そして25年4月から藩校致道館の指定管理を受託しました。
 そして一方委員会を設け検討してきた当館の旧鶴岡警察署庁舎が、平成25年9月から5年にわたる解体修復工事が開始されました。皆様はじめいろいろな方々のご指導ご協力をいただいたことに心から厚く御礼申し上げます。竣工されましたら一般公開活用をいたします。工事中ではありますが通常どおり開いておりますのでご来館をお待ちいたしております。
 この機会に防災はじめ環境整備もおこない、皆様に親しまれるよりよい博物館施設として充実をはかりたく、寄付の募集を行っております。また工事状況がわかるようにこのHPに掲載いたしております。ご覧いただければ有り難く存じます。 来年もご協力ご指導のほどをよろしくお願い申し上げます。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
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by ChidoMuseum | 2013-12-31 23:34 | 博物館のとっておき | Comments(0)

高山樗牛賞受賞式

 12月13日鶴岡市教育委員会の第56回高山樗牛賞と高山樗牛奨励賞の授賞式がグランドエルサンで開かれました。 高山樗牛賞には、酒田市の元県立高校教諭小笠原敏夫さんが受賞されました。小笠原さんは神奈川県横須賀市出身、国語教諭として勤務、地元の文芸同人誌「北地」「荘内文学」「文芸酒田」で詩や小説を発表、小笠原新のペンネームで2003年短編小説集「エアーズロック」2009年には長編小説「シーギリアの雨」を出版、精力的な著作活動をつづけています。
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 高山樗牛奨励賞は、庄内の小中高校生を対象にしたものですが、朝暘5小の杉野森華子さんが受賞されました。幼い頃から本が好きな杉野森さん、今年は、自身がとり組む卓球をテーマにした小説「白球ドリーム」を完成させました。
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 授賞式には市内の芸術文化団体や受賞者の関係者約60名が参列、鶴岡市田中芳昭教育委員長から賞状など贈られ、榎本政規鶴岡市長が祝辞を述べました。
 その後小笠原さんが記念講話、杉野森さんが作品発表を行いました。小笠原さんは、戊辰戦争のとき庄内藩は「敵を辱めない」という規律を守り、敵味方の区別なく負傷したものは看護死者は手厚く葬ったこと、いまもお墓は守られていてそれが縁で市民の交流がふかまっていることなど庄内気質を話しました。
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by ChidoMuseum | 2013-12-17 15:29 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

西郷南洲翁肖像画

先般南洲会で西郷南洲翁肖像発行趣意書のお話しをしました。
戊辰戦争で庄内藩は最後に降伏したわけですが、西郷南洲翁の終戦処理が礼に則り寛大な処理であったことから旧庄内藩の人々は西郷翁に私淑します。鹿児島に旧藩主以下70余名が教えを受けに3ヶ月間行ったり、肖像画を描いた石川静正も明治8年に菅實秀はじめ数人と鹿児島を訪れ西郷翁と会っており交遊が深まります。
そして西郷翁の薦めで酒井忠篤忠宝がドイツへ7年留学、その間に、西南戦争が勃発します。
庄内藩は賊軍といわれ、戊辰戦後も政府は常に斥候を放ち監視を怠りませんでした。西郷翁と心交深いことを関知している明治政府は、庄内もたつのではといち早く、警察、軍など廻りをかため警戒します。また西郷翁からは共に戦おうとの積極的な連絡誘いもないこと、リーダーたる酒井忠篤忠宝が独留学で留守であること、廻りが軍警察で固められ身動きができないことなどから判断して断念します。それでも庄内の若い人は西郷とともにと、鹿児島に駆けつけようとしますが、厳重な警備を通り抜けることはできず、やむなく引き返してきました。
明治22年西郷翁は賊名を解かれて名誉を回復し、酒井忠篤らは発起人に名を列ね上野に西郷翁の銅像ができます。形の顕彰もいいけれど、それだけでは気が収まらない庄内の人たちでした。西郷とともに戦い死すべき運命だったが、出来なかった、西郷翁の思いを後世に伝えようと西郷翁からきいた教えを編纂し、まさに死にかえての西郷南洲翁遺訓を出版します。そして斑を編成して、九州、四国、関西、関東全国の有志者に南洲翁遺訓を寄贈してまわるという一大事業をおこないます。今では南洲翁遺訓は西郷翁の考えを知る貴重な出版物となっています。
庄内・酒田には南洲神社がありますが、また伝統的に致道博物館でも南洲翁の肖像を掲げ南洲翁を偲ぶ会が行われてきました。
その南洲翁の肖像画は、石川静正が肖像画を描き、一緒に鹿児島にいって南洲翁と会った同僚たちから意見をきき、それでも満足できずに樺山大将に行き、そこで黒田清輝を紹介され、そして門人の佐藤均に描いてもらうことになります。西郷未亡人や板垣退助など錚々たる西郷翁に親近した人達に、くまなく意見を聞き確かめるなど先人達の篤い思いがいかに強いかをあらためて感じます。
挑発をうけ暴発してしまった私学校の生徒たちの鬱憤をはらさせるため名誉もなにもかも捨て戦う西郷翁、事実戦跡を尋ねると人々に迷惑をかけるからと、山の中とか、郊外で抗戦、何度もあった内部からの徴兵の要請には「これ以上人を殺すきか」と止めたという。
そしてその時従軍して本気で勝とうと思っていた人は「西郷くずれさ、西郷さんは戦う気がなかったから」と晩酌のたびに愚痴を言っていたという話が残っています。

南洲翁肖像発行趣意書
 某等常に深く南洲先生を慕ひ親しく謦咳に接して教を請んと欲すること久矣
明治八年の春予僚友数人と我郷の尤も先生に交誼厚かりし菅實秀翁に随ひ 五月十七日鹿児島に入り直ちに先生が武村の邸に候せり後 数々凾丈に侍して道義の教えお受け 時に或は膝を接へて談笑の歓を竭せり
 淹留閲月帰郷後一藩の士と共に先生の教によりて皇国の為に盡さん事を期せり 明治十年西南の役あり 先生には遂に世を去て城山に逝かる 嗚呼哀哉 爾来我郷同志は其嘗て先生より受けし教を遵奉して敢て失墜する事なからんことを誓ひ 且其の教を輯録して一巻とし之を南洲翁遺訓と題し廣く天下同感の士に寄贈したり 尚又毎年時日を定めて相會し先生の真筆を掲げて祭典を執行すること茲に三十餘年 予や後学の士の先生の真風丰を想見すること能はさるを慨し 其の肖像を模写し且つ以て祭典の霊位となさんと欲し 苦心惨憺之に従事すること数星霜 興に先生の教を受けし僚友某某の助力を得て 数々修補を加へ 頗る信ずる所あるに至りしも 尚一層の完備を期し 今回之を携へて 上京し 樺山大将に謁し其批評を乞ひしに 大に称讃せられ 且つ画伯黒田清輝氏に紹介して描写の方式に関して教を乞ふの便宜を與へられ 黒田氏は門下の秀才佐藤均氏を薦め 佐藤氏則ち予の原画に拠りて 潜心描写し尋て長谷場純孝園田實徳二氏の閲覧を乞ひ 更に先生の嗣子侯爵西郷寅太郎氏並に先生の未亡人に見へて懇篤なる教示を受け 因て又た新に一幀を作り再び閲覧を乞へるに善く南洲翁真風丰を得間然する所なしとの賞讃の辞あり 竟に西郷寅太郎氏の紹介を得て先生と最も親近せし 伯爵板垣退助翁伊東元帥上村海軍大将子爵高島鞆之助氏大山元帥令弟大山精之助氏及び先生の令妹大山武次郎氏母堂等の閲覧を乞ひたるに 孰れも其酷肖せることを證言せられたり 是に於て 予か畢生の志望始めて成り 衷心の歓喜實に禁ずへからざるものあり 然るに樺山長谷場園田の三氏は慇懃に予に慫慂するに 之を複製して世に公にすへきを以てせられる 予窃かに思へらく今やこの真像を得て宿志始めて遂ぐるを得たり 永く之を郷閭に私蔵せんよりは若す寧ろ廣く世間に公布し 同志の士の渇望に副はんにはと 乃ち茲に原画によりて複製し以て江湖に頒つこととなせり
 此際之を補正して完璧と為せしは専ら画家佐藤均氏の力なり 今や南洲翁の真像は世間一ありて二なし 翁の高風を欽慕するの士庶幾くは此の一幀を座間に掲げ其遺徳を追想し 其遺訓を服膺して永く之を忘れざらんことを
大正二年九月八日
                             石川静正 謹誌
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by ChidoMuseum | 2013-12-15 14:59 | あれこれメディア情報 | Comments(0)