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桜百選、続百名城に選ばれた鶴岡城址公園の桜 満開 

本日は、暖かく桜百選、続百名城に選ばれた鶴岡城址公園の桜は満開。
花に誘われ、公園周辺は大勢の花見客で賑わいました。
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桜百選:
[ 鶴岡市の中心部にあり、かつて庄内藩・酒井家歴代藩主の居城として栄えた鶴ヶ岡城跡に広がる城址公園。
お堀や石垣、樹齢数百年の老杉が残り、四季を通して美しい花々が咲く。
園内には約730本の桜があり、「さくら名所100選」にも選ばれるほどだ。
また、藤沢周平の小説「花のあと」の舞台として描かれ、平成22年公開の映画のロケ地にもなった。
スクリーンには公園の美しい桜の景色が映し出されている。]
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そして鶴岡城址公園は続100名城にえらばればかりです。


日本百名城
No日本百名城 No.続日本百名城 
1根室半島チヤシ跡群根室市101志苔館函館市
2五稜郭函館市102上ノ国勝山館上ノ国町
3松前城松前町103浪岡城青森市
4弘前城弘前市104九戸城二戸市
5根城八戸市105白石城白石市
6盛岡城盛岡市106脇本城男鹿市
7多賀城多賀城市107秋田城秋田市
8仙台城仙台市108鶴ヶ岡城鶴岡市
9久保田城秋田市109米沢城米沢市
10山形城山形市110三春城三春町
11二本松城二本松市111向羽黒山城会津美里町
12若松城会津若松市112笠間城笠間市
13白河小峰城白河市113土浦城土浦市
14水戸城水戸市114唐沢山城佐野市
15足利氏館足利市115名胡桃城みなかみ町
16箕輪城高崎市116沼田城沼田市
17金山城太田市117岩櫃城東吾妻町
18鉢形城寄居町118忍城行田市
19川越城川越市119杉山城嵐山町
20佐倉城佐倉市120菅谷館嵐山町
21江戸城千代田区121本佐倉城酒々井町
22八王子城八王子市122大多喜城大多喜町
23小田原城小田原市123滝山城八王子市
24武田氏館甲府市124品川台場港区
25甲府城甲府市125小机城横浜市
26松代城長野市126石垣山城小田原市
27上田城上田市127新府城韮崎市
28小諸城小諸市128要吉山城甲府市
29松本城松本市129龍岡城佐久市
30高遠城伊那市130高鳥城諏訪市
31新発田城新発田市131村上城村上市
32春日山城上越市132高田城上越市
33高岡城高岡市133鮫ヶ尾城妙高市
34七尾城七尾市134富山城富山市
35金沢城金沢市135増山城砺波市
36丸岡城坂井市136鳥越城白山市
37一乗谷城福井市137福井城福井市
38岩村城恵邦市138越前大野城大野市
39岐阜城岐阜市139佐柿国吉城美浜町
40山中城三島市140玄蕃尾城敦賀市
41駿府城静岡市141郡上八幡城郡上市
42掛川城掛川市142苗木城中津川市
43犬山城犬山市143美濃金山城可児市
44名古屋城名古屋市144大垣城大垣市
45岡崎城岡崎市145興国寺城沼津市
46長篠城新城市146諏訪原城島田市
47伊賀上野城伊賀市147高天神城掛川市
48松坂城松坂市148浜松城浜松市
49小谷城長浜市149小牧山城小牧市
50彦根城彦根市150古宮城新城市
51安土城近江八幡市151吉田城豊橋市
52観音寺城近江八幡市152津城津市
53二条城京都市153北畠氏館津市
54大阪城大阪市154田丸城玉城町
55千早城千早赤坂村155赤木城熊野市
56竹田城朝来市156鎌刃城米原市
57篠山城篠山市157八幡山城近江八幡市
58明石城明石市158福知山城福知山市
59姫路城姫路市159芥川山城高槻市
60赤穂城赤穂市160飯盛城大東市
61高取城高鳥町161岸和田城岸和田市
62和歌山城和歌山市162出石城・有子山城豊岡市
63鳥取城鳥取市163黒井城丹波市
64松江城松江市164洲本城洲本市
65月山富田城安來市165大和郡山城大和郡山市
66津和野城津和野町166宇陀松山城宇陀市
67津山城津山市167新宮城新宮市
68備中松山城高梁市168若桜鬼ヶ城若桜町
69鬼ノ城総社市169米子城米子市
70岡山城岡山市170浜田城浜田市
71福山城福山市171備中高松城岡山市
72吉田郡山城安芸高田市172三原城三原市
73広島城広島市173新高山城三原市
74岩国城岩国市174大内氏館・高嶺城山口市
75萩城萩市175勝瑞城藍住町
76徳島城徳島市176一宮城徳島市
77高松城高松市177引田城東かがわ市
78丸亀城丸亀市178能島城今治市
79今治城今治市179河後森城松野町
80湯築城松山市180岡豊城南国市
81松山城松山市181小倉城北九州市
82大洲城大洲市182水城大野城市
83宇和島城宇和島市183久留米城久留米市
84高知城高知市184基城基山町
85福岡城福岡市185唐津城唐津市
86大野城大野城市186金田城対馬市
87名護屋城唐津市187福江城五島市
88吉野ヶ里遺跡吉野ヶ里町188原城南島原市
89佐賀城佐賀市189鞠智城山賀市
90平戸城平戸市190八代城八代市
91島原城島原市191中津城中津市
92熊本城熊本市192角牟礼城玖珠町
93人吉城人吉市193臼杵城臼杵市
94大分府内城大分市194佐伯城佐伯市
95岡城竹田市195延岡城延岡市
96飫肥城日南市196佐土原城宮崎市
97鹿児島城鹿児島市197志布志城志布志市
98今帰仁城今帰仁町198知覧城南九州市
99中城城中城町199座喜味城読谷村
100首里城那覇市200勝連城うるま市



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by ChidoMuseum | 2017-04-16 18:31 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

特別展「茶の湯」於東京国立博物館 に当館所蔵重要文化財「潮音堂」を出品

4月11日から6月4日まで、東京国立博物館で特別展「茶の湯」展が開催中です。特別協力として表千家、裏千家、武者小路千家、藪内、遠州茶道、江戸千家、大日本茶道学会、茶道宗徧流が各流派が特別協力して、お茶に興味ある方には必見の展覧会、是非ご覧ください。当館所蔵の重要文化財「潮音堂」が出品されております。
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その由来については・・・・・・・・

聖一國師  圓爾弁圓  駿河国安倍川上流出身が、鎌倉幕府貞永式目制定、北條泰時全盛時代のとき、諸方参学の後、嘉禎元年(1235)宋に渡って法を求める。

聖一國師が宋で、諸国を遍歴していた。当時天下第一の宗師は径山にいる無準師範和尚としり、直ちに無準を尋ねる。

無準は聖一國師の器量を買い、直ちに入室をゆるした。

滞留六年無準の下で研学、七年目仁治二年、師自ら日本帰国をすすめ、「早く本国に帰って祖道を提唱せよ」との言葉に博多に帰った。当時、日宋貿易をやっていた宋人の謝國明が大旦那になり、博多に承天寺を創立することとなった。

帰国早々承天寺開創を聞いた師の無準は喜びの御祝いとして承天寺の寺額や寺役を示す牌字を自ら書いて贈られた。新寺の模様や大きさが分からないため、大小沢山書いた。ところが九州の天台宗徒に非常な打撃を与えたため、聖一國師の声望をねたみ創立まもなくにも関わらず焼き討ちを掛けられた。そこでやむなく招かれるまま京都に移り大相國九條道家保護により東山に東福寺を経営することになった。

先の師の無準より書いてもらった額字は幸いに承天寺の火事から難を逃れた。そして國師が宋朝より持ち帰った幾多の法文学書と共に東福寺内の普門院に納められた。それらの額字の中にこの潮音堂の三字があった。そして小堀お家元のところに添状二通あり、それによると東福寺の伽藍修理の為に寛永八年二月四日に黄金二百枚を以て「潮音堂」の幅を淀屋三郎右衞門に売渡し、その証明に東福寺の寺役たる東堂西堂の坊主が署名をしている。

なお一通には表具の寸法圓取が書いてあって、それは今日のものとは表層裂が違っているから、遠州が何かの因縁で此の幅を淀屋から譲られて後、今の表具に仕立て替えたとみえる。当時の位地および数奇の模様から察せられる。(田山方南氏当館館報)

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その後、小堀遠州家より酒井に渡った伝説があります。荘内の百科事典といわれる大泉叢誌には次のように記されています。

潮音堂御掛物由来ーーーー坂尾万年編大泉叢誌

潮音堂の御掛物は、故小堀政(遠江守)金山寺より出しを、七百両に求められ、忠勝公は政一の茶の御弟子なりしが、或時、殿中にて遠州申されけるは、珍しき掛物手に入りしまま、一服進じたき由にて日限約諾これあり、忠勝公入らせられしに、彼潮音堂を床にかけ置きぬ。甚だ御称美あって其の値を議せられけるに、政一笑って一字千金と申されとなり。

其の日はそれにて済み、後日に又殿中にて忠勝公政一へ仰せけるは、先日の潮音堂何卒今一度たきとて、又日限を約せられ、其の日に至り入らせられ候て、中立の砌 彼の掛物をとりたまいて、早乗りにて帰らせられ、遠州出迎え講じ入られんとせられしに、公おわせざりしかば、不審してそここことたづね奉るうちに、公より御使者をもって掛物の礼をのべ代三千両出しければ、遠州もさほどまで望ませられんにはとて、その意にまかせられしとなり。依りて小堀和泉守潮音堂掛物箱ばかりあり。その後右三文字を能書にうつさせ印も朱をもって書きし、掛物小堀候にありとなり。


その後、平成10年初夏に小堀宗慶お家元に箱書きをしていただきました。




なお、鶴岡の木村屋で最高の原材料を使った「潮音堂」のお菓子があります。
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なお、伝説口伝には他にいろいろな説があること申し添えます。



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by ChidoMuseum | 2017-04-15 19:34 | 博物館のとっておき | Comments(0)

庄内の鶴岡ー三井永一

一頁随筆 私のふるさと  庄内の鶴岡                三井永一
 ひいき目でいうわけでないが、私の生まれた鶴岡は何から何までそろっているのが自慢だ。
まず目のほうからいくか。庄内というところ、いたずらに風光明媚とか奇観珍妙は唱えない。
北に鳥海山を望みながら西に日本海の庄内浜、東に出羽三山を控えれば南は朝日連峰につづき、中に4つの温泉郷が点在しているのがいわゆる庄内平野である。豊かな自然と素朴な情趣をことさらに土地の発展だといって観光地化する俗輩がいるけれども、自然を破壊してしまったら二度と元に戻らん。しかしそれに毒されていないだけでもいい。
 次に口の方になるが天然自然に恵まれていれば、したがって食べ物に味がでてくるのは当然だろう。みのりの秋といえば第一番に御存じ庄内米、平野一望黄金色の波は実際に見た人でないとわからないが、その味とともに日本一。米が良ければ酒がいい。灘だ伏見だというけれどもそれは宣伝がきいているせいで、庄内はそれほどあさましくないから、よそを相手の儲けなどは考えない。酒がよければ女がいい、と、ものの順序はそうなっている。目でみれば世にいう庄内美人、味のほうは、これは各人各様試してみないとわからない。季節の野菜、果物等の山の幸、たとえば葡萄は甲州というが庄内の葡萄を御存じか。(註:いまや「甲州」という葡萄の品種は庄内と山梨だけ、そして庄内は江戸時代からつくられていた)柿の福島というが庄内柿を知っているかしら。孟宗竹、なめこの天下一味も知らないだろう。漬物にしても奈良漬と称するよそのものとはわけが違う庄内の粕漬けを一度味わってみればわかる。さらには小粒の茄子の辛子漬、その上、海の幸の小鯛、鰈、鱈、蟹等々。ああああ一々書ききれないのう。こんなこといっても信用しないだろうが土地で育ったものは皆知っているし、一度それを味わった人は皆感嘆するのだから、うそではない。黛敏郎さんは庄内米の白い飯を食いにわざわざ東京からでかけるそうだ。
かといってぞろぞろとだれ彼なくでかけられては困る。そうなると下等な商人が表れて素朴な叙情を荒らしてしまうのだ。
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さて6月5日(註:現在5月25日)の鶴岡化け物祭りというのがある。その昔菅原道真が太宰府に流されたとき、人々が編笠で顔を隠して酒を酌み交わして別れを惜しんだという故事にちなんで、編み笠に、顔は手ぬぐいでかくして目だけをだし、色模様の長襦袢を着て尻からげ、黒ももひき、手袋、雪駄ばき、だから男か女かだれかわからない。酒徳利と杯を持ち歩き、通りで顔見知りがいれば無理にも飲ませる。飲まされた人は、はてだれであろといぶかしながらもありがたく頂戴する。好きな女の子の家に上がってもいいし、片思いの女に無理強いして飲ませるもよし、こっちはだれだか全くわからないのだからどうも面白い趣向である。見破られてはいけないというスリルもあるし、一度はやってみたいと思っているのだが、なかなかその機会がない。(別冊宝石、昭和47年陽春号掲載)


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by ChidoMuseum | 2017-04-09 16:05 | Comments(0)

「おまえ べんきょうしているか」

 別冊文芸春秋199号に寄稿した小文を書き改め、当館平成255月~6月に開催した「画家93歳 三井永一の軌跡」展発行した図録掲載したものです。生前三井先生より挿絵等が当館に寄贈されましたが、「想像と創造 三井永一の仕事」という三井永一遺作展開催にあたって三井永一先生を偲び再掲します。
「おまえ べんきょうしているか」                                    三井永一

それは昭和11年頃に遡る。当時の少年達はみな大志を抱いていたかもしれないが、私は小志も持たずにウロウロしていたのを、美術の地主悌助先生(当時鶴岡中学、通称フグ。後に地主先生は、石や紙など描いて、小林秀雄や白洲正子など著名人のファンを持つ画家となる)が、上野の美校(芸大)を受けてみては、という。それまで本格的木炭デッサンなど描いたこともなかったのに、美校の試験はこのデッサンが主眼といってもいい。急遽上京して川端画学校に入る。だが、そこには予備校特有の、目は血走り髭顔に年期の入った男達が他人はみな蹴落としてしまえと睥睨しているような雰囲気に満ちていた。堪りかねて、とにかく東京中を探し回った末、内幸町のビルの4階に(ここは後に文芸春秋社が入るのだが)春陽会洋画研究所の看板を見つけてドアを開ける。

 そこには半裸のモデルと抱き合ってポータブル蓄音機でタンゴを踊っている男、絵筆を右手に口三味線で長唄を歌っている女、隅で楽譜をのぞきこんでバイオリンを弾いている人、スチームの上でフランス語の詩を朗読している若者、かと思うと窓辺で双眼鏡をのぞいている男が「オイ見ろ、いい女、いい女」といっている。こんなとき私は躊躇しない。すぐに入所した。そうこうしているうちに美校にはいる気は全くなくなっていた。

 この研究所では、石井鶴三、中川一政、木村荘八、鳥海青児その他の先生が交代であらわれる。木村先生は昭和12年当時朝日新聞に永井荷風「濹東綺譚」の挿絵を描いていた。研究所の先輩はその挿絵の玉ノ井地図を切り抜いて出かけたりしたが、お前はまだ子どもだといって連れて行ってはくれなかった。

 その木村先生は昼夜転倒の人だから夕方研究所にやってきては残っている56人の生徒を引き連れて銀座のモナミやエスキーモ、カフェ・プランタンなどに行く。こんな時の先生の雑談は実技のほか、例えば歌舞伎の平面背景に対するタテヨコの演技と、西洋の半円ホリゾントに対する自然な立体的な動きの違いをリアリズムに置き換えてみると面白い、というような何気なく自ずから身体に染みこむような話しだった。

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 家では、美校にいかないことを詰られて切羽詰まっていた。これを乗り切るためにもここで春陽展に入選するしかない背水の陣だったが翌年18歳で初入選し、その翌年は文展に初入選したからよかったものの、大げさにいえばこの時が私の人生の岐路といえなくもない。やれば出来るということで逆に元来の不勉強を自分に都合良く合点させたのだろう。このことを木村先生はちゃんと見抜いていて後後まで顔を合わせれば「おまえ べんきょうしているか」とのぞき込んできた。

 初めての入選者懇談会でそれぞれ自己紹介するとき、中川一政が立ち「私は木村荘八であります」その隣の木村荘八は「私が中川一政であります」と言って席に着いた。その次の石井鶴三は「私はもともとから石井鶴三であります」と言った。小杉放庵はゆっくり立ち上がって「私は名前を忘れてきました」若い私は春陽会の大先達の親昵を目の前にして身体が震えたつような思いをした。

 さて世の中に、やがてきな臭い風が吹き出し暗雲が漂いはじめた頃、20年近く住んでいたフランスから岡鹿之助さんが引き揚げてきて春陽会に入る。まもなく戦争は若者を戦場に駆り立て、私も招集されて兵隊となり、運命の分かれ道に何度か向き合いながらも東京に戻った。生還はしたが、空虚の中で気力もなく悶々としているとき、岡さんに葉っぱ一枚をじっと観察しながら筆で辿れば落ち着きますと言われ、木村先生にはアトリエに入るなり、書きかけの絵を前にして、君この絵を批評してくれ、と言われた時の衝撃がやがて美術への眼を取り戻した。

 当時木村先生のお宅に春陽会の事務所があった。私は春陽会の事務を手伝うことになり、頻繁に先生の家に出入りし、時には泊まったりする。そんな時は本棚の整理を頼まれたり、時には日本画の仕事をしながらその技法を実地に教えてくれたり、或いは挿絵の仕事の時は作画のコツ、紙の効用、ぺんの描法など、文字通り手を取って教えてくれた。また岡さんは春陽会の研究会や雑報の担当で自然と逢うことが多くなった。ここではアトリエが音楽堂といってもいいようなステレオ装置で、その中で貴重なレコードを深夜まで聴かせてくれたり食事を頂いたりした。

 そうした或る日、木村先生の紹介といって小説雑誌の女性編集者が訪ねてきて挿絵をたのまれた。又別の日、別の月刊誌からは岡さんに紹介されたといってカットの依頼だった。そして、やはり岡さんからの紹介だという文芸誌のカットも描くことになる。木村先生も岡さんも私の暮らしのことを考えて黙って出版社の仕事を紹介してくれたのである。
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by ChidoMuseum | 2017-04-06 17:48 | 展覧会 | Comments(0)

想像と創造ー画家三井永一の仕事




4月1日から4月26日まで画家三井永一の仕事展を開催しています。
挿絵の仕事:木村荘八や岡鹿之助は、三井の暮らしを気遣い、黙って出版の仕事を紹介した。特に師・木村荘八は、挿絵について作画のコツ、紙の効用、ペンの描法など文字通り手をとって教えたという。
連載という仕事:物語の世界を彩る挿絵の仕事。作家のいち早い読者となるが時には外出もままならない。作品を理解し適切な挿絵を描く。信頼関係の上に成り立つ仕事。
描き分ける仕事:小説には様々なジャンルがある。雑誌の挿絵はモノクロの世界。画材の使い分けや、描画のタッチのみならず、画風までも変化をつける。
人をみつめる仕事:数多く引き受けた挿絵の仕事の中で特筆すべきが人物画。線一本で人柄までが描かれる。高い技術も必要だが、それ以上に大切な、人をみつめること。
絵画の仕事:絵画の仕事は、春陽会展や公募展、個展などが舞台となる。画家の仕事は描くこと。悩み、模索し、たどり着いた世界。その先に何があるのか。
版画の仕事:昭和30年代中頃、描きたいものが見えてくる。画家の仕事は描くこと。もうひとつの道、リトグラフ。ここからふかまりゆくワンダーランド。
本の仕事:小説が出版されるとき、挿絵は掲載されないことが多い。そんな時に、本の世界を豊かにするのは装丁や扉絵の仕事。
仕事場の片隅に:挿絵の依頼は数多く、原画の整理も大変な仕事。描いて終わりでなく、時には検証することも。その積み重ねがここにある。
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by ChidoMuseum | 2017-04-01 18:55 | 展覧会 | Comments(0)