重要文化財旧渋谷家住宅

 昭和53(1978)年10月月刊グラフ山形で「追憶の田麦俣」を特集された田村茂広氏は、その中で次のように述べている。
「60里越街道(国道112号線)の宿駅・田麦俣は山合いの台地にひらけたひなびた山村である。昔から出羽三山詣での人々でにぎわい、さまざまの歴史を綴りこんできた。養蚕と炭焼きで生計をたて、米は村の半数の人口を養うにやっとであった。しかし、人々の住まう民家は三階建ての堂々たる家屋であり、しかも斜面を利用してたたづむ集落の景観は人々の目を圧した。だがそれも昔のこととなった。田麦俣は今まさに、追憶、その中にしか生きない村になろうとしている。」
写真:田村茂広氏撮影
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 その月刊グラフ山形の特集に、直木賞作家半村良さんが一文をよせている。
一部をご紹介する。
「・・・・・・たとえば私はいま、上野から汽車に乗って鶴岡駅へ向かう行程の、ひと駅ひと駅の気分をたちどころに思い返すことができる。それはあの煤煙の匂いに包まれた蒸気機関車にひかれて行く列車の旅である。私の本名は清野と言い、亡父は東田川郡東村(あずまむら)の人であった。それが今では朝日村とかわっているが、妻もまたその朝日村の出であり、彼女が生まれ育った建物は、現在鶴岡市に移築され、致道博物館内にある。姓は渋谷。清野も渋谷も、ともに当地に数多い。いっぽう、母方は神谷氏という。神谷は越中から加賀、能登に多く、母も能登である。それでいながら、私は生まれてこのかた、ほとんど東京を出たことがない。下町はわがふるさとであり、銀座や新宿は今も生活の場である。したがって私の小説の要旨は、殆どが東日本に限られている。やはり小説は体験によって生み出されるものなのだろうか。だが、時には未来や遠い過去にも材をとる。近年は未来より過去の歴史から材をとることが多くなった。・・・・・・」

 その当時から42年たったいま、当時の田麦俣の多層民家といわれる民家はわずか2軒のこして現代建築に変わった。当館では、昭和40年、渋谷家から譲り受け、旧渋谷家住宅旧田麦俣民家を館内に移築した。重要文化財の指定をうけ、毎年、1/4ずつ萱屋根の差萱し、冬季には囲炉裏を焚くなど、当館では貴重な建造物の保存維持している。


下写真、当館重要文化財田麦俣多層民家旧渋谷家住宅                    重要文化財旧渋谷家住宅_f0168873_14401536.jpg

                                                                                           

半村 良 (1933ー2002)
第3回星雲賞(日本長編部門)受賞 (『石の血脈』)、 第1回泉鏡花文学賞受賞。(『産霊山秘録』)、 第72回直木賞 受賞 (『雨やどり』) 第9回日本SF大賞受賞 (『岬一郎の抵抗』)第6回柴田錬三郎賞 受賞 (『かかし長屋』) 第20回日本冒険小説協会大賞特別賞受賞等。「戦国自衛隊」は映画化。
  

# by ChidoMuseum | 2020-08-14 11:54