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致道ブログ

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懐かしの写真2 昭和15年

 昭和15年の懐かしの写真です。アルバムに新築工事写真集・昭和15年とあり当館酒井名誉館長の花押がありました。
 塀の前は畑、そして酒井忠明名誉館長の住まい(その23年後の昭和38年~39年に北よりに引越し、その土地を当館に寄贈、そこに重文旧西田川郡役所移築された)建築するための基礎石場突き(石場がち、ヤグラドウツキ(櫓胴搗き))の光景、塀のかげの道路はみえないが、その向こうに、結構広くみえる百間堀があり、その奥に建物群が羽前織物会社(今は山形新聞社鶴岡支社や滝沢眼科医院あたり)です。百間壕のあったところは、野球場、陸上競技場グランドなど活用の変遷を経て、今は一部壕を復元し、東北公益文科大学大学院、慶応義塾先端生命科学研究所、鶴岡アートフォーラム、鶴岡スイミングプールなどになっています。
 今、塀の前の畑は現在、致道博物館の駐車場となっており、そして家をたてようと基礎をつくっているところが、致道博物館の重要文化財旧西田川郡役所の前あたりになります。
当時の工事状況と光景がうかがえます。

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# by ChidoMuseum | 2020-05-28 19:38 | Comments(0)

最後の弟子が語る折口信夫ー岡野弘彦著

 2019年7月岡野弘彦著「最後の弟子が語る折口信夫」平凡社出版のご紹介です。
 「先生は心の自由な人でした。
 吉田健一や柳田國男、小林秀雄らとの交流、宮中の仕事、沖縄への思い、口述筆記、顔の青痣・・・希有な縁で、師の晩年に寄り添った最後の弟子が語る真実。
昭和22年からその死まで6年半、同居して晩年の生活と仕事を支えた著者は、まさに折口信夫の最後の弟子、95歳をむかえて今遺しておかねばならないと、言葉や心のやりとり、見聞や思い出など、師との濃密な時間を精魂こめて綴った畢生の作。昭和天皇から今上天皇ご夫妻まで長く皇室への歌の指南役を務める著者の、山奥での生い立ちや折口との関係が育てた作歌の秘密も垣間見える。」(著書帯紙から)
 この著書のなかで、当館酒井忠明名誉館長、鶴岡出身の三矢重松について述べられています。
折口信夫が最も大きな学恩を受けたのは、日本民俗学を開いた柳田國男であることは言うまでもないが、それよりも早く中学から大学にかけての時期に大きな感化を受け学問の志を開かれたのは、鶴岡出身の士族で國學院に学び、国学最後の人と言われた三矢重松であった。折口は大阪の府立第五中学に入学するとき、当時同校の教諭であった三矢から口頭試問を受けたという。後に、その三矢を偲んで「四天王寺 春の舞楽の人むれに まだうら若き君を見にけり」という歌を折口は詠んだ。
三矢は早く東京の國學院大學の教員となり、その後したって入学してきた折口に深い薫陶をおよぼすことにになる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そして鶴岡の春日神社境内にある三矢の遺詠「値なき 玉をいだきてしらざりし たとひおぼゆる日の本の人」の歌碑を紹介、三矢は三矢文法と言われる文法論を生み出した人、源氏物語「源氏全講会」を公開講座として國學院で開講、国学最後の人と言われた三矢の志は注目すべき等々と述べ、三矢について、まだまだ続きます。
 酒井名誉館長については、黒川能での出会いから、昭和29年の歌会始「林」というお題での入選、「芽ぶきたつ裏の林に山鳩のなくねこもりて雨ならむとす」、そして平成15年歌会始で召人として、「今もなほ殿と呼ばるることありてこの城下町にわれ老いにけり」の歌をご紹介いただいた。
著者は三重県出身、國學院大學名誉教授、歌人、著書多数   (文中敬略)

◎森永エンゼルカレッジ岡野弘彦源氏物語全講会
本居宣長・三矢重松(鶴岡市出身)・折口信夫と引き継がれた国学研究の流れを汲む岡野弘彦先生の『源氏物語』の講義録。日本をよりよく知ることができます。
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# by ChidoMuseum | 2020-05-23 16:30 | あれこれメディア情報 | Comments(0)

懐かしのお写真 1

昭和35年10月、義宮(常陸宮)殿下、お成り(ご来館)。
ご案内は犬塚又太郎初代館長。
後ろの建造物は、建設中のて展覧会場(鶴岡建設が施工)⇒現在はアマゾン展開催中の展覧会場

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お見送りの人でいっぱいの赤門、道隔てて向こうは生け垣のある畑地
(現在は電気屋さん)と奥に住宅でした。
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お出ましに関する用語   宮内庁

行幸(ぎょうこう)   天皇が外出されること。

還幸(かんこう)    天皇が行幸先からお帰りになること。

行幸啓(ぎょうこうけい)天皇・皇后がご一緒に外出されること。

還幸啓(かんこうけい) 天皇・皇后がご一緒に行幸啓先からお帰りになること。

行啓(ぎょうけい)   皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が外出されること。

還啓(かんけい)    皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃が行啓先からお帰りになること。            

お成り(おなり)    天皇・皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃以外の皇族方が外出されること。        

ご帰還(ごきかん)  天皇・皇后・皇太后・皇太子・皇太子妃以外の皇族方がお成り先からお帰りになること。















# by ChidoMuseum | 2020-05-21 15:51 | Comments(0)

赤松老木の伐採😥😪

5月18日午前、長年親しまれてきた三余室脇の赤松の老木に、塩をまき酒を飲ませて拝礼、そして伐採いたしました。
赤松の中ほどに虫食い、腐れがみられ、異常気象といわれる昨今、倒木などを危険木として専門家から意見を拝聴、名勝指定の範囲外ということもあり、大変残念ですが伐採にふみきったものです。作業は、2時間余りで終了いたしました。
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# by ChidoMuseum | 2020-05-18 16:34 | Comments(0)

大宝館で鶴岡が生んだ肖像写真家五十嵐輿七の生涯展

 人物資料館大宝館の企画展示が5月17日附荘内日報に掲載されました。是非みなさまごらんいただきたくご案内申し上げます。
 大宝館(市有形文化財)で企画展「鶴岡が生んだ肖像写真家五十嵐輿七の生涯展」を開催しています。2024年に新1万円札の顔となる日本の資本主義の父と呼ばれた実業家渋沢栄一の御用写真家を務めたとして、写真家五十嵐輿七を紹介する企画展。輿七は1885年鶴岡市生まれ、母の実家である湯田川温泉の御殿旅館(現 湯殿庵)で手伝いをしながら幼少期を過ごした。仙台市で写真技師の下に弟子入り、修業を経て1905年に渡米。ニューヨークで独立した後に帰国、日本の所蔵写真の第一人者として第一線を歩み続けた。渋沢との知遇を得たことをきっかけに勤勉さや誠実さを評価され、渋沢家の人々を撮影し密な関わりを持った。ほかにも、皇族や政財界、外国の名士などを撮り続け、企画展示ではこれまで撮影してきた人物も展示している。モノクロ写真からは今にも人物の息づかいが感じられそうで、セピア色の魔術師との呼び声もあり、65年に営業写真界で初めてとなる紫綬褒章を受章した。佐藤秀美学芸員は「一言で努力家、努力すること、目標を持つことの大切さを教えてくれる人。小さな展示空間ではありますが、多くの人に知ってもらい、是非楽しんでいってほしい」と話す。鶴岡の寛明堂写真館の先代が東京・五十嵐写真館で修行したそうである。同館ではほかにも鶴岡ゆかりの32人の人物資料を常設展示している。このうち、鶴岡市名誉市民第一号のドイツ文学者、相良守峯が今回から加わった。「木村・相良独和辞典」を編集した人物としてモ知られ、展示では生前に愛用していたトランクケースなども並ぶ。入館無料、開館時間は午前9時から午後4時半(水曜日定休)まで。
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# by ChidoMuseum | 2020-05-16 20:29 | Comments(0)