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致道ブログ

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佐久間友志さんを偲んで In memory of Mr. Yuji Sakuma

史跡松ヶ岡開墾場 ギャラリーまつや石田屋さんで個展をひらいていた陶芸家佐久間友志さんが令和3年7月18日逝去され、20日新潟市で葬儀がおこなわれました。
佐久間さんは鶴岡市家中新町出身。アメリカクレイトン大学数学科を卒業、その後同クレイトン大学美術科において陶芸を研究された異色作家です。
クリストプロジェクトのスタッフ、その後新潟県上越市において制作活動をはじめました。
朝日現代クラフト展入選、京都クラフト展入選など数々受賞されています。
その作品は日本とアメリカで培われ味わい深いものになっています。
新潟県聖籠町で精力的に制作活動を続けられ、益々のご活躍が期待されておりました。心からご冥福をお祈りします。
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# by ChidoMuseum | 2021-07-24 14:55 | Comments(0)

開山1350年記念 金峯山と修験道~語り継ぐ歴史

Mt.Kinbo and Shugendo to commemorate the 1350th anniversary of the opening of the mountain  
7月22日から8月31日まで、開山1350年を記念して金峯山と修験道~語り継ぐ歴史 展を開催いたします。鶴岡市民にとっては、「金峯山に内川の流れ」と旧市民歌にあるように親しまれている471メートル(最高点より南側にある三角点458メートル)のお山。古来より修験の山、信仰の山として崇められた歴史と相まって中腹から山頂までの登山道中から庄内平野を眼下に望める展望の山として名勝指定になっています。2019年地元要望をうけ鶴岡市が国土地理院に申請、金峯山と表記、読み方も「きんぼうざん」と統一されました。山頂には国指定重要文化財金峯神社本殿があり、平成31年から令和2年11月まで保存修理事業が行われ、天智10年(671)に役小角(えんのおづぬ)が開山したと伝わる金峯山は1350年を迎えました。
               
        庄内領郡中勝地旧蹟図絵(東田川郡)鶴岡市郷土資料館蔵
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      金峯山と母狩山 鳥瞰図 木山由起子絵
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江戸時代には庄内をおさめた最上家や酒井家の庇護を受け、金峯山山頂に鎮座する蔵王権現堂は数度にわたって修復が行われました。山内から切り出される金峯石は、居城鶴ヶ岡城の石垣にも利用されています。
 修験道で最も重視される峯中修行(ぶちゅうしゅぎょう)は、順峯(じゅんぶ)と逆峯(ぎゃくぶ)の2つのコースがあり、逆峯は戦国時代に廃絶したとされますが、順峯は明治2年(1869)まで続けられ、出羽三山への登拝をかねて全国から多くの参詣者が訪れました。本展では、地域と密接な関係をもちながら存立してきた金峯山の歴史を、主に金峯神社所蔵の資料をご紹介いたします。

1、記念講演会「金峯神社とその信仰」(土曜講座)
  講師: 佐々木孝善 金峯神社宮司
  日時:8月7日(土)14:00~16:00
  場所: 当館旧警察署ホール
  定員: 30名(先着申込順)
2、シンポジューム「金峯山の歴史を古文書から読み解く」金峯神社文書調査会5名
内容  菅原義勝「金峯神社所蔵文書について」
      田中大輔「金峯山と藩主・藩士の参詣」
      阿部宇洋「金峯山と民衆の祈願」
      保科文俊「金峯山の碑傳から見る修験修行」
      酒井英一「金峯石・髷額」
  場所:鶴岡市立図書館2階講座室
  日時:8月21日(土)14:00~16:00
  定員:50名 (先着申込順)
3、学芸員によるギャラリートーク
  日時:8月28日(土)14:00~15:00
  定員:30名(先着申し込み順)
  場所:展覧会場


銅造如意輪観音坐像  山形県指定有形文化財 平安時代末期 金峯神社蔵
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蔵王権現立像   鎌倉時代  金峯神社藏

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如意輪観音坐像 江戸時代 文政二年一〇月吉祥日 酒田仏師 中川永吉  金峯神社藏

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弁財天座像 江戸時代 金峯神社像  &  十六童子立像 江戸時代 金峯神社藏

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# by ChidoMuseum | 2021-07-22 16:11 | 展覧会 | Comments(0)

奇跡の囲碁小説幻」史上最強の名人 Miraculous GO novel Gen-an becomes the strongest master in history

 3000年前に中国でうまれたといわれる囲碁を、こんにちのように進化させたのは江戸時代の日本人だった。徳川家康は碁を好み、当代有数の打ち手に扶持を与え、碁に精進するよう命じた。やがて4つの家元、本因坊、安井、井上、林がうまれる。各家元の目標は名人を一門から生み出すこと。そのために全国から天才少年を集め、ひたすら修行させた。だが簡単に名人は生まれず、江戸時代260年で誕生した名人はわずか8人であった。江戸時代後期最強の名人をめざし努力を続ける少年、一代の風雲児「幻庵因碩」である。囲碁ファンには絶対見逃せない小説「幻庵」百田尚樹著である。
 その中に、長坂猪之助が登場、鶴岡が舞台となって書かれているところがあります。師元丈から将来を嘱望され内弟子になっている松之助に「今から庄内にいけ」と命じらる。「鶴岡に長坂猪之助という方がいる、力は5段以上、快諾をいただいた」。長坂と対局して「先々先(1段差)に迫れば3段を許す。」といわれ、先々先になって帰らなければ ならなかった。10局で6勝4敗のは松之助にとって不本意、長坂から「剣術は戦いで敗れると命はそれまで、碁では負けても次があるという気持ちがある限り真剣勝負の碁ではない」といわれ帰るが、帰路途中夢をみて思い返して鶴岡に戻り、再び長坂に対局を申し出、松之助の凄みの碁に、長坂は激励し、対局を終え1年近く屋敷で居住した長坂邸を後にした。その文化4年(1807)9月14日長坂猪之助、葛野松之助の棋譜が残っており、それが掲載されている。文芸春秋社から上、中、下3巻が出版されている。日本棋院鶴岡支部便りには郷土史研究家堀司朗氏の「江戸時代鶴岡の囲碁界」として貴重な資料が紹介好評連載中。


# by ChidoMuseum | 2021-07-12 23:27 | Comments(0)

松ヶ岡開墾150周年記念 Matsugaoka 150th Anniversary

今年松ヶ岡開墾150年をむかえ、行事を予定いたしておりましたが、コロナ禍でみあわせ延期したりいたしております。その中で松ヶ岡開墾記念館では、「松ヶ岡開墾場150年記念企画展」~開墾の記録者 黒崎研堂~展をおこなっております。
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黒崎研堂(嘉永5年(1852)~昭和3年(1928))は、荘内藩家老をつとめた酒井了明の3男として鶴岡に生まれ、明治元年(1868)黒崎与助の養継嗣となる。17才で農兵小隊長として戊辰戦争に出陣、明治3年に酒井忠篤に従い鹿児島に赴き、練兵を学ぶ。その後松ヶ岡の開墾に従事、経営に参画する。北海道開拓 にも参加する。幼少の頃から書を能くし、研鑽を重ねて、庄内書道興隆の基礎をつくり、松平穆堂、吉田苞竹など多くの門人を育てました。また黒崎研堂日誌は、明治5年から昭和3年までの50年にわたる研堂の日誌を残して開墾から当時の状況がわかる貴重な資料となっています。
 酒井了恒(玄蕃)(庄内藩2番大隊長)、酒井調良(核無柿庄内柿の研究普及)を兄とする。
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 黒崎家6代研堂与八郎の長男7代黒崎幸吉は、東京帝国大学卒業、住友総本店に勤務、辞任し内村鑑三の助手を務め、その後愛弟子としてキリスト教無協会主義の普及活動をおこない、著書多数あり、世界的に知られています。
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 研堂の三女條と結婚した田中正造は松ヶ岡や事業の中枢となって活躍、その継嗣長男田中正臣も松岡機業などシルク関係で活躍、田中正臣の収集品の土鈴が記念館に寄贈うけたことを契機に、正造二男、正臣の弟で大丸副社長、東急社長を歴任し活躍した田中正佐(しょうすけ)から収集した土人形など郷土玩具25,000点が寄贈され、記念館2階に展示されています。
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⚪ 酒井了恒(玄蕃)は、幼時から藩校致道館で学び、江戸市中取締を命じられると江戸詰めとなり学業中途にし上京、番頭に就任、長州藩邸接収、水戸天狗党残党の逮捕では手傷を負いながら任務遂行、その後家督を継ぎ、1868年6月中老に就任、戊辰戦争では2番大隊長として指揮をとり、旗指物は北斗七星を描いた破軍星旗、鬼玄蕃としておそれられた。玄蕃のだした規則布告は、敵の戦死者の埋葬、投降捕虜虐待禁止、調達品代金支払う等々統制のとれたものであった。樋越隆胤は玄蕃の死後「秀而草」巻4にまとめ、それによると、玄蕃が斥候をだした時斥候が戻るまで夜遅くなっても待っていたこと、夜は軍装は解かず寝ていた、宿陣は兵士を先に入れ、雨の時もいりおわるまで濡れながらまっていた、食事も兵士たちと一緒に同じものを食べていた。結びに玄蕃について「珍しくも貴き人也」と書いている。明治政府に士官兵部省7等出仕、病のため辞任、政府密命を帯び鹿児島の調所広丈とともに清国に渡って内情偵察、「直隷経略論」をまとめ、開拓長官黒田清隆に提出した。35才で逝去。
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⚪ 酒井調良は酒井忠篤の近習をつとめ、戊辰戦争では新庄秋田方面に出陣した。松ヶ岡開墾に参加、その後屋敷内に桑を植え養励む励む、りんごを栽培、その農業技術を評価、県勧業世話係任命され、生糸輸出を始めて庄内蚕糸業組合長に任命される。農場を経営、鶴岡の鈴木重光が発見したとつたえられる「平無核柿」の栽培に成功、調良柿とよばれたが、大正初め原凞博士により「平無核柿」と命名された。20余年農場「好菓園」をいとなみ、地域農業振興に寄与した。
 
 

# by ChidoMuseum | 2021-07-10 15:50 | Comments(0)

聚力結びなして功を竣う

昨年令和2年、致道博物館は70周年を迎え、70周年記念展とうたって展示活動はかろうじておこないましたが、記念イベントは、残念ながらコロナ禍でできませんでした。下記のとおり当館の館報に初代館長が創立25周年をむかえての思いが掲載されていました。それは創立当初からかわらぬ当館の指標です。
「創立25年を迎えて忠良公を憶う」  初代館長 犬塚又太郎
 新館(展示会場)入り口の左側壁間に、銘盤が埋めこまれてあります。
そしてそれには、「聚力結びなして功を竣う」と簡潔な一語が刻されてあります。
これは昭和35年(当館発足10年目)現在の新館が建設された時、酒井忠良公が揮毫されたのであります。
公はその翌春逝去されましたが、此の名盤は館にいる私どもの心に常に尊い指標を与えて、相対す毎に新たな感懐を興させています。この新館も、多くの方々が心も力も寄せ合ってくださったから出来たものに外なりません。しかし、この銘語はこの博物館全体の施設も資料も、そして運営万般にわたって、私どもの心にこそ刻銘してほしいというのが公の真意ではなかったろうかとしみじみ思われてならないのです。今年は当館創立25周年を迎えることになりました。過ぎゆく歳月の早いのには、今更ながら驚くばかりで在ります。忠良公逝いて既に14年にもなります。あの新館のできた時の公のお慶びが、今私の心に浮かんでまいります。そして遡って当財団法人創立のことどもが頻りに回想されるのであります。昭和25年春、公が由緒深い図書研究所文会堂の一切を、広く文化向上の為に公開したいと表明されて、今日の博物館が誕生しましたが、その折りの公の一言一句が私にとっても忘れることができません。「父祖先代の心は常に郷土全体の福祉にかけられてきた。私は其の心を承けたい。博物館は郷土全体のもの、一人二人の専有物であってはならない、自分も案外出来るぞと思ったら、もうお仕舞いだ。道は遠い、急ぐべからずである。」公の念願とするところ、そして名盤の一語、25周年を迎えるに当たり私どもは、改めて深思せざるをえません。そして公のその心をいかに光あらしめるかが、使命でありまた課題であると思うのであります。
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# by ChidoMuseum | 2021-06-30 15:56 | Comments(1)