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記念館の郷土玩具 その2 田中正佐さん

 松ヶ岡開墾記念館には田中正佐さんからご寄贈いただいた土人形など郷土玩具を展示しています。
その田中さんについて、平成5年に「会社の品格・不正義との決別」と題して、作家渡辺一雄さんが夕刊フジに連載、その一部をご紹介します。
「私がかつて身をおいたデパート業界にも品格のある人物がいた」
「昭和29年、大丸は東京・八重洲口に出店したが、その時、初代店長として采配をふるったのが田中正佐である。」
「知名度がなく、東京の人に「今度八重洲にくるデパートだけど、だいまるというのかしら、おおまるというのかしら」と社名すら確実にいってもらえなかったくらいだった。」
「新規開店に備えて大丸は東京要員として大量の高卒新入社員を採用した。彼らを迎えての入社式で田中正佐はまず、彼らに「同志諸君!」と呼びかけ、その上で「三越をはじめ有力デパートが手ぐすねひいて大丸を撃退せんものと待ちかまえている。大丸が東京で成功するためには君たちの力が必要だ。私にどうか君たちの力をかしてくれ」と熱弁をふるった。高卒新入社員にとって、常務・東京店長は雲の上のさらに上の人物である。その人が自分たちを同志と呼んでくれたと若い純真な彼らは大感激し、よしやろうとふるいたった。大丸の東京進出大成功は昭和29年入社の若い社員が一致団結、火の玉となって燃えたためである。」
「昭和29年入社の高卒社員もすべて定年で大丸を去った。が、今でも田中を慕う。29年入社の元社員が田中の誕生日に集まり、昔話に花を咲かす。あの頃は寝食を忘れて頑張った、しかし楽しくて疲れなかったと彼らは異口同音にいう。」
田中正佐さんは、鶴岡市出身、鶴岡在住の兄田中正臣さん収集の土鈴とあわせて寄贈いただきました。当時田中正佐さんは山中湖町に住まいを移し、雉、クジャクなどを飼育されていましたので、お礼に雉を2つがいお贈りしました。山中湖町まで運ぶ車中、興奮したのか雉たちはあばれていました。
by ChidoMuseum | 2011-07-06 01:59 | Comments(0)