2013年 06月 17日
三烈士法要
三烈士は天野豊三郎、佐藤桃太郎、関口有之助の3名のことで、戊辰戦争の際、旧幕臣の天野豊三郎、佐藤桃太郎(遊佐町出身の佐藤藤佐の孫)、関口有之助等9名は各地に転戦の末、ここ庄内藩にたどり着いたが、庄内藩は既に謝罪降伏していた為、この八ツ興屋の林高院に匿われ集落の豪農三浦半三郎が厚くもてなした。庄内藩首脳は9人に降伏して国元に帰る事を勧めるが、天野・佐藤・関口の三人は聞かず、三人は庄内松山藩お預けとなり、新政府軍に対して反抗を続けた為、明治2(1869)年4月21日新政府軍は三人の処刑を命じる。天野30歳、関口21歳、佐藤22歳(19歳とも)。三浦半三郎は、この報を聞いて妙法寺に行き、夜陰に紛れて三人の首を持ち帰り、この林高院に葬り、明治3年3月21日立派な墓石を建立した。
その墓石の隣に故当館顧問酒井忠治の書で石碑が建っていました。人情に厚い庄内人ですね。