致道ブログ

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東日本大震災から7年

 2011(平成23)年3月11日14時46分あの東日本大震災から7年たちました。
あの時のことは一生忘れられないでしょう。
多くの人命が失われ、津波と原子力発電所から発生した放射能、無力感におおわれたあの時。
いまでも、ご遺体がみつかっていないとか、まだまだ復興とはいえない現実。
被災されました皆様にはお見舞いを申し上るとともに、完全な復興を祈念します。
あの時、致道博物館東京友の会の前日、絵画返却のため、東京田端で当館学芸と待ち合わせをしていました。
ビルの2階で連絡を待ってコーヒーを飲んでいると、ゆれがはじまり、キッチンの方ではガチャガチャと食器の割れる音
長く感じたゆれも漸くおさまり、階上からはキャーキャーと大勢の人たちがおりてきました。
上の階は相当ゆれだったことでしょう。
私も下へおりてゆくと、JR駅はシャッターがしまり、バスのところには大勢の人たちがならんでいました。
状況がわからず、携帯で連絡とろうとしたけど、通じず。
今回の絵画返却はあきらめ、近くの返却先のお宅にうかがって本日は返却できないから後ほど連絡しますと断りました。
その古いお宅ですが、この地震で影響はないようでした。
その時点では津波とかそんな大地震とは思われず、だけど携帯は通ぜず、バスもタクシーも待ち人で大変でした。
歩きながら、萩というお好み焼きのお店に入って連絡しようとおもって、入るやいなや公衆電話をかしてもらいました。
致道に連絡、私がどうしているか心配していたらしく電話で安心したようでした。
本当にそれまではすごい地震ということはしりませんでした。
明日の当館友の会は東京に来ている3人だけで、会員には連絡の仕様がないので来られた人、たとえ一人でも会場でまっていることに決めました。
さて恵比寿に宿舎予約しているので、交通機関がむずかしい状態なので、この近くにホテルを取ろうと思っても満杯でした。
困っているとそのお店の若夫妻が送ってあげましょうかという、困った私は言葉に甘えて送ってもらうことにしました。
7時すぎまで待ってくれ、用事をすませるからといってまち、午後7時すぎに車に若夫妻と小さい子どもさんとともに車に乗って出発。
初めは裏道、近道をいって順調でしたが必ず大通りにでます。そこは大渋滞、青になってもびくともしない、そしてのろのろ動き、
裏道へ途中コンビニによって休憩、自分は新潟県で父親が山で遭難、地元の人たちに大変お世話になり助けてもらった、困った人をみたら
たすけなければと思った。私が何者かも分からないのにこの大渋滞にいらつきもみせずに、穏やかに送って頂いた、なんと恵比寿についたのは
翌朝3時半、約8時間車を運転して送っていただいた。帰りも大渋滞で大変だろうと思いながらも感謝感謝でいっぱいでした。
お礼の手紙は届いたと思うけど友人達にはそのお好み焼きさんにいってきてとすすめましたが、転居してしまったようでした。
そういえば宇都宮にいるお母さんの心配をしていたからもっと突っ込んで聞いておけばよかったと後でから残念の思いがつのりました。
日本にはこんなにいい人がいるものだと感銘しました。
東京友の会は、無事3時過ぎ学芸も途中で地震にあって苦労したようですが無事私より先についていました。
翌日、新潟からの講師は地震で新幹線不通でおいでになれませんでしたが、会場には地震にも関わらず30人の会員の皆様からおいでいただきました。
本当にありがたかった、こころから皆様にはお礼を申し上げ近況報告などいたしました。



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by ChidoMuseum | 2018-03-09 21:45 | Comments(0)