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最後の弟子が語る折口信夫ー岡野弘彦著

 2019年7月岡野弘彦著「最後の弟子が語る折口信夫」平凡社出版のご紹介です。
 「先生は心の自由な人でした。
 吉田健一や柳田國男、小林秀雄らとの交流、宮中の仕事、沖縄への思い、口述筆記、顔の青痣・・・希有な縁で、師の晩年に寄り添った最後の弟子が語る真実。
昭和22年からその死まで6年半、同居して晩年の生活と仕事を支えた著者は、まさに折口信夫の最後の弟子、95歳をむかえて今遺しておかねばならないと、言葉や心のやりとり、見聞や思い出など、師との濃密な時間を精魂こめて綴った畢生の作。昭和天皇から今上天皇ご夫妻まで長く皇室への歌の指南役を務める著者の、山奥での生い立ちや折口との関係が育てた作歌の秘密も垣間見える。」(著書帯紙から)
 この著書のなかで、当館酒井忠明名誉館長、鶴岡出身の三矢重松について述べられています。
折口信夫が最も大きな学恩を受けたのは、日本民俗学を開いた柳田國男であることは言うまでもないが、それよりも早く中学から大学にかけての時期に大きな感化を受け学問の志を開かれたのは、鶴岡出身の士族で國學院に学び、国学最後の人と言われた三矢重松であった。折口は大阪の府立第五中学に入学するとき、当時同校の教諭であった三矢から口頭試問を受けたという。後に、その三矢を偲んで「四天王寺 春の舞楽の人むれに まだうら若き君を見にけり」という歌を折口は詠んだ。三矢は早く東京の國學院大學の教員となり、その後したって入学してきた折口に深い薫陶をおよぼすことになる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 そして鶴岡の春日神社境内にある三矢の遺詠「値なき 玉をいだきてしらざりし たとひおぼゆる日の本の人」の歌碑を紹介、「値なき玉」とはすなわち「値もつけられない貴重な宝珠」とは実は源氏物語を意味している。「すばらしい宝を身のうちに抱きながら、その真価をしらないで過ぎてきた人」を深く嘆いているのである。三矢は三矢文法と言われる文法論を生み出した人、源氏物語「源氏全講会」を公開講座として國學院で開講、国学最後の人と言われた三矢の志は注目すべき等々と述べ、三矢について、まだまだ続きます。
 酒井名誉館長については、黒川能での出会いから、昭和29年の歌会始「林」というお題での入選、「芽ぶきたつ裏の林に山鳩のなくねこもりて雨ならむとす」、そして平成15年歌会始で召人として、「今もなほ殿と呼ばるることありてこの城下町にわれ老いにけり」の歌,この歌が朗々と披講されると、天皇のお顔がほっと明るくなられたような気がした。きっと「ほう、あちらは殿か」と、親しみの心をお感じになったのであろうと思う云々とご紹介いただいた。
著者は三重県出身、國學院大學名誉教授、歌人、著書多数   (文中敬略)

◎森永エンゼルカレッジ岡野弘彦源氏物語全講会
本居宣長・三矢重松(鶴岡市出身)・折口信夫と引き継がれた国学研究の流れを汲む岡野弘彦先生の『源氏物語』の講義録。日本をよりよく知ることができます。
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三矢重松門人の折口信夫(釈迢空)らが建立した鶴岡市湯田川の由豆佐売神社境内の三矢重松の歌碑、そして鶴岡の春日神社境内にある三矢重松の遺詠の歌碑があります。

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写真上、由豆佐売神社の三矢重松の歌碑「わが思ふ田川おとめにかざさせて見まくしぞ思ふ堅香子の花」(昭和18年7月三矢重松先生歌碑建立祭司:折口信夫全集27巻中央公論社、昭和18年9月「國學院雑誌第49巻9号」、昭和19年2月「鳥船新集第3」)





写真下は春日神社境内にある三矢重松遺詠歌碑「値なき 玉をいだきてしらざりし たとひおぼゆる日の本の人」(昭和11年7月建立、國學院大學三矢重松先生記念會)

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by ChidoMuseum | 2020-05-23 16:30 | あれこれメディア情報 | Comments(0)